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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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大河ドラマ「平清盛」視聴~ 第36話「巨人の影」

 歴史ファンの方の今話の評価は、ほぼ通説どおりで見応えがあったというのが多いが、視聴率は10.1%とか。自分は通説にも疎いので、確認しながらドラマと見比べることを続ける。

 今話のその通説というのに該当するのが、「嘉応の強訴」と呼ばれる事件にまつわることらしい。ウィキペディアで確認すると、強訴自体は以下のように説明される。
 ※嘉応の強訴(かおうのごうそ)
 嘉応元年(1169年)12月23日、延暦寺の大衆が尾張国知行国主・藤原成親の配流を求めて起こした強訴。
 後白河法皇は成親を擁護したが、上流貴族や平氏の非協力的態度により事態は紛糾した。後白河と平氏の政治路線の対立が、院政開始後に初めて表面化した事件である。
 尾張目代と日吉社の神人の争いをきっかけとした強訴だったというのも通説通りで、この時強気に出た法皇とは対照的に平家は消極的な対応に終始し、結果として法皇が山法師に屈するという事態になったというのも、ドラマの通りとか。
 清盛の対応は、延暦寺の座主明雲と個人的に友好関係にあり、政略的にも延暦寺との対立を避けたかったということのよだ。

 福原で千僧供養が行われた事の意味は、法皇と清盛が協調関係にあった事を示し、もう一方で、清盛が千人もの僧侶を動員出来る程宗教界にも影響力を持っていた事をも意味するとか。特に、清盛と延暦寺とは友好関係で、この千僧供養はその後も繰り返し行われるという。

 前回とのかかわりでみると、清盛がこの事件にかかわって福原に呼ぶのは、重盛と頼盛。清盛がこの二人に信頼を置いていたということだ。前回整理したように、頼盛は後に独自の道を歩む事になるが、少なくとも清盛の在世当時は、頼盛は一門の中にあって重きをなしていたということのようだ。
 状況を聞いた清盛は、直ぐに上洛し、成親の解官や時忠の召喚などを次々と断行してあざやかに政局を収拾してみせる。それに対して、結果論もあるが、この時の後白河法皇の対象的な対応振りが浮き彫りになる。最初は成親の流罪、次いで成親の召し返しと時忠の流罪、そして、最後は時忠の召し返しと成親の解官という、今のどこかの国の政権のように、結果的には無軌道なもの。
 これは、武力の中心である平家の非協力的な態度が招いたことではあるが、法皇が治天の君としての器に欠けていた事も示すことになる。
 ドラマのタイトルである「巨人の影」の通り、この事件によって清盛の存在感が高められたたという事で、この後は、福原と京の二元政治が行われていく事になって行く。

 鞍馬山の義経や頼朝の話は脇の話で、今話ではさらりと描かれるが、つい見入ってしまう。それは、今散歩を整理している飯坂と医王寺とのかかわりでだ。

 第36話「巨人の影」の要点を「エキサイトドラマ特集『大河ドラマ平清盛』」からお借りする。
http://tv.excite.co.jp/detail/nhk_taiga51/story_36.html
 「巨人の影」 
 清盛(松山ケンイチ)は福原に在をうつし、京を嫡男の重盛(窪田正孝)に任せる。後白河上皇(松田翔太)は出家し、法皇となる。1169年、成親(吉沢悠)の知行国、尾張で寺社がらみのいさかいが起こり、比叡山が強訴にふみきる。側近の成親の身をめぐって後白河法皇は支離滅裂な命を出し、朝廷を混乱させる。そして若き嫡男・重盛は妻の兄・成親の処遇に迷いが生じ、混乱をおさめることができない。そんなさなか、福原で情勢を見守っていた清盛が兵を率いて上洛、ことをおさめてしまう。この出来事によって、後白河法皇も摂関家も武士の武力がもはやすべてを解決する無二の力であることを認めざるを得なくなる。

by shingen1948 | 2012-09-22 05:31 | ☆ 映画話題と視聴記録 | Comments(0)