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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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久しぶりに鯖湖湯に入る~夏の頃⑤

 「飯坂散歩⑥:「家のあひ」よりほとばしる滝を求めて④」にかかわって「渡利の住人」さんから情報をいただいた。その時に、子規が泊った宿についての情報も頂いた。
 それは、「正岡子規の福島俳句紀行」に詳細で具体的な説明があって、確実な史料を元にしているように感じて、その宿探しかかわっての情報だ。その「正岡子規の福島俳句紀行」にあった説明部分を再掲する。
 飯坂の和田屋という宿に着くと、ようやく寒気も収まった。最初はむさくるしい裏部屋に通され、眺めが悪く一寸の景色も見えない。やっと夕方には涼しく眺めも良く表通りが見える部屋に移ることができた。そして、旅の疲れをとるため鯖湖湯の共同浴場に入浴した。
 ここに記された宿探しだが、その後も確認作業は続いていて、今のところ、この時代の飯坂には、「和田屋」という宿は無かったらしいと思えるようになってきている。
 飯坂を訪ね歩いて見つからなかったが、その後、「飯坂湯野温泉史(中野吉平著)」で探してみた。ここにもなかったが、大正13出版なので、省略の可能性と共に、その間の変化の可能性も考えられた。
 しかし、最近になって、別資料として「飯坂温泉案内(香味才助 著)」でも探してみたが、ここにもなかった。これは、明28.2出版なので、「和田屋」はなかったという可能性が高いと思っている。少なくとも、状況の変化ではないという事だが、省略された可能性も低いとみる。
 というのは、子規は、「はて知らずの記」に、他所から雇われた方とお話をしていることが紹介されているのだ。ある程度大きな旅館の可能性が高いということで、省略される可能性は無いとみる。
 ここで行き詰ったかというとそうでもない。
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 実は、自分なりの想像は楽しんでいたのだが、確実な根拠が無いので記事にはしていなかったが、「中村屋さん」の隣の「和久屋」はどうかなと思っている。
 ここなら、「旅宿を出でゝ町中を下る事二三町にして数十丈の下を流るゝ河あり。摺上川といふ。」という位置関係もあうし、鯖湖湯を中心とした湯沢温泉という条件にもあう。
 そして、子規の人力車でたどり着いた時の描写や、「正岡子規の福島俳句紀行」の「眺めが悪く景色が見えないむさくるしい裏部屋があって、涼しく眺めも良く表通りが見える部屋」の描写を頭において、「飯坂温泉案内(香味才助 著)」が描く絵を見渡した時、この「和久屋」はどうかなと思ったのだ。
 「和田屋」とした資料の根拠は今も分からないままだが、もしこちらにも根拠があるとするならば、こことは一字の誤記と見てもよさそうだとも思えたというのもある。
 なお、子規の「はて知らずの記」には二つの共同湯があったことが記されるが、なぜかこの絵の湯沢温泉共同浴場は「透達湯」が省略されて「鯖湖湯」しか描かれていない。
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 ここから、子規の朝の散歩道を想像している。子規が見た風景である湯野温泉側が描かれていないので、それを想像で補っている。
 素人の戯言として聞き流していただきたいが、今のところ子規の飯坂温泉泊を「松葉屋」だとする説には無理がありそうだなと思っている。また、ご紹介いただいた横町の「「ワダヤ」さんは、別商売らしいとみている。ここから話を詰めるには、元「和久屋」さんの経営者佐藤さんのつながりを探し当てることかなと思うが、ここまでかなとも思う。

 
by shingen1948 | 2012-09-18 05:20 | ◎ 芭蕉の足跡 | Comments(0)