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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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大河ドラマ「平清盛」視聴~ 第35話「わが都、福原」③

 第36話の放送後になってしまったが、第35話でもう一つ確認しておきたいのが、清盛の弟である家盛やその弟の頼盛のことだろうか。

 平清盛を産んだ母は、少なくとも出産後数年で病没したらしい。したがって、清盛と母を同じくする兄弟はないとされる。
 父 忠盛と池禅尼の子である男子は家盛と頼盛で、藤原家隆の娘との子である教盛、そして、藤原為忠の娘との子である忠度、源信雅の娘との子である経盛とのこと。ここに妹も何人かいた記録にないとか。覚えきれない。家族との会話で、清盛の兄弟を「盛々」という隠語を使うのは、忠盛の子は○盛ということが多いから。

 この「盛々」のうち、清盛の家督相続に最大のライバルだったのが、池禅尼の子である家盛だが、これが若くして病没する。家盛の死は、清盛にとっては家督相続が確実になるというラッキーな事だったという事を頭においてドラマを見ると、その弟である頼盛は、年齢が離れていたために後継者候補にはなれなかっただけで、平家の中にあって清盛、重盛に次ぐ存在ではある。

 ドラマは、結束力の強い清盛の一族にあって、源氏方について生き延びたその後の頼盛の姿を暗示する。
 彼は平家の都落ちに、独自の行動をとって鎌倉で頼朝と対面する。頼朝にとっては、自分の命を救ってくれた池禅尼の子である頼盛を優遇して朝廷とのつなぎ役とすることになる。
 なお、頼盛は、平家滅亡後は出家して政治の世界から引退し54歳で病没したとか。

 他の兄弟のその後は、忠度は一ノ谷の戦いで討死、教盛と経盛は壇ノ浦で入水して果てる。笛の名手で一ノ谷の戦いで熊谷次郎直実に討たれた敦盛は、経盛の子。

 第35話「わが都、福原」の要点を「エキサイトドラマ特集『大河ドラマ平清盛』」からお借りする。
 「わが都、福原」 
 仁安三年、病からよみがえった清盛は妻の時子(深田恭子)とともに出家する。快癒した清盛は一門の前で港の近い福原に移り住むことを表明し、皆を驚かす。後白河上皇も、清盛の動きを警戒する。2月、後白河と滋子(成海璃子)の子・憲仁親王が即位し、高倉天皇となり、初の平家の血がからんだ天皇が誕生する。が、滋子が皇太后になったことで、平家内のパワーバランスも変わる。姉・時子の長男(重盛は明子の子)宗盛(石黒英雄)が台頭し、宗盛の叔父で清盛の血のつながらない弟・頼盛(西島隆弘)が官位を辞任する。そのことは頼盛の心に影を落とす。一方、伊豆では政子(杏)がわが子を殺され絶望していた頼朝と出会う。
 第35回の視聴率は、前回の11.1%より少し下がって、10.5%(関東地区)とか。
by shingen1948 | 2012-09-17 05:20 | ☆ 映画話題と視聴記録 | Comments(0)