大河ドラマ「平清盛」視聴~第33話「清盛、五十の宴」
2012年 09月 01日
第三部に入って、源平の対比として、平家側の描写では、清盛を中心とした平家一門の繁栄ぶりが描かれてきたところだが、かかわり深い人物をこの「五十歳の宴」に登場させて紹介されていく。
この紹介は、これから展開するドラマの人間関係図であり、源平合戦に向けて、着々と伏線が張られ始めたということのようだが、正直なところ、人間相関という煩雑さにちょっと嫌気がさしてみていたところがある。ところが、後から知ったのだが、国文学の素養をお持ちの方にとってはこの回は興味深い展開になっていたらしい。
今様、唐踊り、舞、和歌等々、平安の風俗に溢れた展開の中に、平忠度などが登場したと見えるらしい。
素養のなさを、「平家物語」の中に登場人物を確認することでカバーする。
まずは、キャラ濃く登場した平忠度だが、巻7「忠度都落ち」で、自作の和歌を藤原俊成に預けて都落ちする。この歌が後に俊成が編纂する「千載和歌集」に「よみひとしらず」として収められる。
選ばれた歌が、「ささ波や 志賀の都は荒れにしを 昔ながらの山桜かな」(古き都、志賀の都は荒れ果てたのに、昔のままに美しく咲いている長良山の山桜よ)
息子の高校時代の国語教科書補説版をみれば、「今はあまり使わないが、薩摩守忠度(ただのり)から、「無賃乗車(ただのり)」を「薩摩守」と言う」というダジャレまで紹介されていた。
次に、都に戻っていた時忠を確認する。
まずは、巻1の「禿かぶら髪」に、「入道相国のこじうと平大納言時忠候のたまいけるは」として、「此の一門にあらざる人は人非人なるぞ」とのたまひけると紹介される。清盛が出家する51歳の頃の紹介だから、今話「清盛、五十の宴」のドラマと重なる頃。
次に、巻11「平大納言の文の沙汰」に見る。ここでは、時忠は、義経に美人の娘を嫁がせて、押収される証拠書類を取り戻して焼却処分する。ドラマでは、その時忠と義経が並んで登場すると見ればよいのかな。
更に、巻12「平大納言の流され」に見る。ここでは、それまでの経歴と能登国へ流されることが紹介される。その経歴を見れば、結構世渡り上手な人だなと思う。
この時忠の末裔が、現在も輪島の上下の時国家として、約800年の歴史を受け継いでいるとかということを、家族が話すのを聞いてこそっと確かめると、上時国家は24代、下時国家は23代を数えるという(1999年12月現在)。
第33話「清盛、五十の宴」の要点を「エキサイトドラマ特集『大河ドラマ平清盛』」からお借りする。
「清盛、五十の宴」ここで、清盛が扇で夕日を招き返すのだが、皆が知っているという前提のエピソードは、音戸の瀬戸の工事で、一日で工事を終わらせるために沈みゆく夕陽を扇で招き返し、工事を完成させたという事。
1167年、太政大臣にのぼった清盛は五十歳になろうとしていた。六波羅で行われた五十の宴に現れたのは、熊野で生まれ育ち、清盛にとって末の弟になる忠度(ムロツヨシ)。熊のようなその男の出現に、一門は翻弄されるが、その宴の最中に権勢をふるう清盛と平家を面白く思わぬ摂関家の藤原基房(細川茂樹)と九条兼実が現れ、「武家は武力をふるうことはできるが、花鳥風月を解することができぬのではないか」と皮肉る。そんな基房と兼実に清盛は弟・経盛(駿河太郎)に舞をまわせ、さらに突然あらわれた忠度に歌を歌わせる。弟たちが見事に舞を舞い、歌をうたったことで、清盛は、平家は武だけではないことを藤原摂関家に思いしらせ、さらに自分も舞い始める。そこで起こった奇跡とは?