地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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半田銀山散歩の続き⑦~他所見その④

 半田銀山散歩に出かけるママチャリでのコース取りは、結構難しい。変則ギヤも付けてないものだから、等高線沿いの道筋や、水路沿いの道筋等を使って距離を延ばす工夫が必要になる。
 桑折に向かう道筋には、うまい具合に西根上堰と下堰の二本の水路があるので、これ等を組み合わせてコース取りをするのだが、西根下堰から上堰にのりかえる地点が大体東湯野辺りになる。
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 その乗り換え中間地点辺りに、上岡遺跡がある。
 この位置については「再び上岡遺跡④~「雄性座像土偶」発掘地点を想像する」で整理したところだが、今回ここを通って、案内板が「うずくまる土偶」の発見位置に合わせた場所に変えてあったことに気がついた。


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 よかったなと思ったのは、報告書から土偶発見位置を推定して楽しんだその位置に近かったということもあるが、それよりも、少しゆとりができたのかなということだ。
 昨年7~8月にかけて、「再び上岡遺跡へ」として再度整理し直したのは、それまで県指定重要文化財だったのが、昨年6月末に国重要文化財指定に指定されたというニュースを見た頃だった。とりあえず「祝 上岡遺跡「うずくまる土偶」国重要文化財指定」ということで、整理し始めたのだが、この頃は、福島では放射能問題でそれどころではなかったという状況だった。この新聞報道でも、昭和27年出土のはずなのに、「市教委がこの土偶は52年12月の発掘調査で出土したと説明された」という誤りがあるなど、そこには余裕の無さも感じられた。

 それで、正確な報告書を探したら、昭和48年に再版された「上岡遺跡発掘調査報告書(東湯野村)」を確認する事ができた。何故かこの上岡遺跡地点を、下岡と三島神社の間の地点と紹介するなどの明らかな誤りもあったが、報告書自体は忠実な再版だった。
 「再び上岡遺跡」では、その報告書を元に散歩しながら整理した。

 よかったなと思ったのには、もう一つの理由がある。それは、次の二つの「上岡遺跡」の特色による弱点にならないかなと思ったことが払拭された事だ。
 ○ 昭和27年の発掘調査は、個人的な探求心から始まっているということだ。それが専門家による調査整理されていくという過程は辿るが、遺物や資料が個人の手持ちになったりする可能性があるということだった。携わった方の個人的なつながりでしか継続されないのではという心配も。
 ○ この地区は、行政区の変遷が複雑だったこととのかかわりで、うまく福島市という行政組織に引き継がれていったのかということだ。
 これ等の事から、経年によってだんだんうやむやになっていくのではないかと、頼まれもしないのに素人の散歩人の余計な心配をしていた事が解消したという勝手な思いも。
by shingen1948 | 2012-08-24 06:14 | 半田銀山 | Comments(0)