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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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大河ドラマ「平清盛」視聴~第30話「平家納経」

 本当は午後9:00からの放映ということだったが、実際にはその時間になってもロンドン五輪中継のままだった。午後10時2分から放映されるという情報は、暫くして、テロップで知る。
 大勢を大切にするNHKの姿は、五輪を一つの出来事としかとらえていない少数派にとっては、礼を失する対応にみえる。
 大勢に流されたNHKの態度でも、関東地区で前週比0・7%増の11・4%の視聴率だったとか。

 この回、俳優の顔と役柄が一致した井浦新さんの崇徳院が久しぶりの登場で、その崇徳院最終回でもある。まずは、崇徳院の怨霊に視点を当てて整理する。

 小松氏は、この怨霊化について「京都聖地案内」で、次のように解説する。
 「怨霊の温床は、亡くなった人が、その敵をとても恨んでいるだろう。その恨みが深いがために復讐をしたい、恨みの念を晴らしているだろう。神秘的な方法であの世から災厄を送りつけてやりたいと思っているだろうという思いの中にある。つまり、怨霊は、その憎しみの対象になるであろう加害者の側の心の中や、その非業の死に同情を寄せる人々の心の中に生れてくる。」
 これを崇徳院の場合に当てはめると、その敵とは後白河院だろうが、当初その霊を恐れていなかったし、罪人のままの死に方にも反応しなかったという。
 それが、安永3年(1177)帝が政務を執る大極殿まで焼失する京都の大火や治承2年(1178)の大火などをはじめとする相次ぐ災厄・社会不安の発生を、人々は崇徳院の怨霊の仕業だと噂するようになったという。
 後白河院も、そうした事態を深刻に受け止め、崇徳院の霊の供養を行うようになったという。その怨霊を鎮める方法として、名誉回復をしたり、神に祀り上げたりすることが行われたとか。
 具体的には、讃岐の崇徳院の墓所を山陵と称し、周りに塀をめぐらして清浄を保ち、その陵を守る者を配置し、京都には神祠が建立された。しかし、怨霊は容易に鎮魂できず、建久2年(1191)後白河院が、病気になると、崇徳院陵の近くに頓証寺を建てて怨霊を鎮めたという。
 やがて、崇徳院の怨霊物語が生みだされる。まずは、鎌倉期の保元物語。
 崇徳院は乱を起こした事を反省し、指先から血を流して3年がかりで5部大乗経を書写し、京都の石清水八幡宮へ奉納しようとした。これを信西に拒まれる。それで、崇徳院は経を地獄・餓鬼・畜生に投げ込み、その力で日本の大閻魔になって、舌を噛み切った血で大乗経の奥に誓いの言葉を書いて、海に投げ入れたと。
 次に、「源平盛衰記」の崇徳院の埋葬の描写、「太平記」の崇徳院が天狗の棟梁として描かれることが紹介される。
 そして、この崇徳院が天狗の棟梁として描かれる伝説と「選集抄」の西行の白峰参詣伝説から、能の松山天狗が作り出され、これが、江戸時代の「雨月物語」に「白峰」という作品に生まれ変わるということらしい。そこでの姿が、「柿色いたうすすびたるに、手足の爪は獣のごとく生ひのび、さながら魔王の形」であったとか。

 ドラマの崇徳上皇の怨霊化のシーンは、これらの伝説を忠実に再現し、以下のような展開に。井浦新さんが、この伝説の怨霊上皇を気持ちよさそうに思いっきり演じきっていたように思う。

 崇徳上皇は、讃岐国に流罪になった後、仏教に深く傾倒し五部大乗経を写経するなどして静かに暮らしていた。
 戦死者の供養と反省の証にと、完成した五つの写本を京の寺に収めてほしいと朝廷に差し出したが、後白河上皇が「呪詛が込められているのではないか」と疑ってこれを拒否し、写本を送り返してきた。激しく怒った上皇は、自分の舌を噛み切って流れ出た血で写本に「日本国の大魔縁となり、皇を取って民とし民を皇となさん」「この経を魔道にえこうす」と血で書き込み、爪や髪を伸ばし続け夜叉のような姿になり、怨霊化する。

 高松放送局サイトにとんでみると、その思い入れが伝わってくる。
 清盛や西行たちと崇徳院の世界観が、対比して描かれています。「2つの物語」が同時に進行していく回です。松山君たちのお芝居も興味深いですし、そのお芝居と対極の自分の芝居がどんな化学反応を起こしているのか楽しみでした。
 なお、この崇徳院の怨霊は最近まで生き続けていたとか。
by shingen1948 | 2012-08-05 05:20 | ☆ 映画話題と視聴記録 | Comments(0)