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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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明治天皇半田銀山行幸裏面情報~半田散歩から26

 地区と鉱山の開かれた関係性については、地区で語り継がれる。その一方で、地区にとって鉱山は閉じた社会でもあるはずだが、こちらの関係性は地区の視点では見えにくい。
 地区の視点で、「明治9年、明治天皇は東北巡行で半田銀山を訪れ、その際に同行していた内閣府顧問木戸孝允が、「醸芳」を揮毫される」ということにも、その裏に鉱山の地区に閉じた関係性があるらしい。

 安田氏によれば、湧水川は、半田沼が出来る前からこの地区を流れていた川らしい。その源流が湧水地区から始まることで、湧水川というらしい。その流れは、元々農業用水として活用されているということのようだ。
明治天皇半田銀山行幸裏面情報~半田散歩から26_a0087378_3403728.jpg
 その湧水川に銀山がかかわってくるのだから、川をめぐるトラブルが起きても自然であり、これが気になるところでもあるが、半田銀山調査報告書の中にそれをみつけた。

 坑内取明けに付随して産出する坑内残鉱、廃鉱の処理にかかわるトラブルということのようだ。銀精錬にかかわって水銀も使用するらしいので、このことによる湧水川の水質にかかわるトラブルをイメージしたが、こちらの情報はなさそうだ。

 半田坑は粘土が多く、洗鉱によって生じた白濁水の稲作に害があるとの苦情が起きたようだ。それで、半年間休業して、樽井を設けて白濁を減らそうとしたらしい。しかし、粘土の微粒子は簡単に沈着しなかったということで、創業から明治9年までこの事を引きずっているらしい。
 水質自体の問題は、コアニエの「洗鉱濁水及び土砂を分析するに、石灰質を含有するの外、稲苗有害の物質を含有する有りなし」の粗分析結果が出たが、村方との示談は進展しなかったという。
 このトラブル解消の方策として、明治天皇行幸がかかわるらしい。

 鉱山側は、村方が権威に弱いことに着目して、問題を解決しようとしたようだ。
 五代にこのことを伝えて、その五代が大久保に頼みこんで、大久保内務卿の巡検を実現させたとのことだ。そして、これを6月21日の明治天皇半田銀山幸行に繋げたということのようだ。
 まだ確認はしていないが、この濁水一件の詳細は、「大久保内卿巡検記」に詳しいとのことだ。

 これで、鉱山側は、翌月の7月8日には、北半田、南半田、谷地、塚野目、伊達崎の各村と見事に以下の条件で締約に漕ぎつけたらしい。
 溜井7箇所(内3箇所は明治8年築造)を以て「濁水を沈殿せしめ其稲苗に患害を及ばさしめず間断なく洗鉱すること」。

 しかし、実際にはその後も問題は起きていて、これが明治14年まで引きずっているらしいとのことだ。
by shingen1948 | 2012-08-02 05:20 | 半田銀山 | Comments(0)