地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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半田銀山坑夫の墓所(無縁仏)~半田散歩から22

 方向音痴なので道筋を一本ずつ確かめないと、その場所が実感できないところがある。それで、弘成館の選鉱・洗鉱にかかわる半田銀山建物群跡と思われる辺りを確認した。
 東の道筋は、そのまま進むと、西の方に回り込んで行くようだった。方向的には早田牧場に抜けて行くように思ったが、そこまでは確かめてはいない。
 西側の傾斜のきつい道筋は、その上で更に西に向かう道筋となるが、その途中に石碑群があって、そこに「半田銀山坑夫の墓所(無縁仏)」の案内板が建っていた。日付を見ると、昨年末に建てられたものらしい。
a0087378_4555935.jpg
 前半は、半田銀山坑夫の仕事の説明があって、その後半部分が、以下のようにこの石碑群がその「半田銀山坑夫の墓所」ということらしい説明になる。
 半田銀山坑夫の墓所(無縁仏)
 所在地 桑折町大字南半田字水抜
 (前略)
 全国から集まった坑夫の多くは、単身故郷を離れて、この近くに建てられた小屋に共同生活を営み、家族を持つことは少なかった。そして、多くの坑夫たちはこの地で壮絶な生涯を終えた。
 この人々は仲間たちによって惜しまれ弔われ、墓地の北側の小山のあちこちに葬られ、桑折無能寺の子院でもある直往庵の僧が読経し、一抱えの墓石ととともに過去帳に記憶されている。今でも何基かの墓石は木々の根方にひっそりと立ち尽くしている。
 いつの頃からか、地元の人々が無縁となった彼らを哀れんで、山から墓石を下ろし、我が家の祖先の眠る近くに建て直し、祖先と一緒に花を手向け、香を焚いて菩提を弔っている。
 平成23年3月31日
 桑折町教育委員会

a0087378_50829.jpg 所在地も気になる。まずは「南半田」との事だが、「北半田」との境が、基本的には亀張水路として辿ってきた湧水川になるらしい。ただ弘成館跡の曲がった後の川筋の延長線がその境になる。それで、上流では川筋から幾分南にずれ込んではいるが、おおよそ湧水川筋が境界線とみてよさそうだ。a0087378_515517.jpg その字名「水抜」も気になる。
 「湧水川」の川名もかかわるのかなとも思うし、ここから見えるこの民家脇の水槽と思われる施設が2ケ所見えるのも、飲料水なのか、水抜きとかかわる施設なのか気になるところだが、よく分からない。


 さて、半田銀山坑夫の墓所を見かけたのは、3カ所目だ。時代は違うが、散歩の位置情報としてこれらをつないでおく。
 半田銀山史跡公園
 http://kazenoshin.exblog.jp/7768175/
a0087378_510837.jpg 半田銀山には、かつて銀山で働いた人々の墓が無縁仏となって静かに眠っている。
 今はその人々がどこからきた人々なのかを確かめるすべもない。ただ、半田地方の人々ではなかったようである。

 半田銀山遺跡
 http://kazenoshin.exblog.jp/7764484/

 林道半田山線起点付近の風景~半田散歩から
 http://kazenoshin.exblog.jp/15687015/
a0087378_5175973.jpg 北側の高まりを眺めていると、白い案内柱が見えたので、そちらに向かってみたら、「鉱山工夫墓群」ということだった。
 半田銀山坑口・坑道位置図などの資料では、こちらを鉱山工夫墓群とする。

 ※ 半田散歩から」の№がずれていた。突然だが、№22にしておく。後日ずれた分を修正する。
by shingen1948 | 2012-07-24 05:20 | 半田銀山 | Comments(0)