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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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明治天皇行幸記念碑の旧地?⑤~半田散歩から⑱

 先に、まだ「もしも」という曖昧さを付した中ではあるが、想像は自由という事で、次の機会にはそんな目で訪ねてみたいと思うとしたその「明治天皇行幸記念碑」の旧地という視点で出かけてみた。
a0087378_3192227.jpg
 すると、そこには「史跡 半田銀山」の標柱が建っていた。「まだ曖昧さを付した中」としたところだが、この時点より確からしさが増したという事だ。ここは何度か通っている。見逃していたらしい。


a0087378_3222296.jpg これは、明治天皇行幸記念碑の旧地付近の西に向かう道筋だが、「銀山関連施設の建物が描かれた地図」の図と見比べると、先に写る水路沿いの道筋は新道らしい。旧道は右手に回り込む道筋らしい。その先から北側に回ってS字の道筋になっているようだ。

 確認したいのは、「明治天皇行幸記念碑の旧地」は、「半田銀山全図」・「銀山関連施設の建物が描かれた地図」・「明治天皇がつぶさにご覧になられた鉱山施設」・「買石の町として完成されていた歴史的な背景」の情報を皆つなぎ合わせてくれる位置ということなのではないかということだ。


a0087378_3315337.jpg それで、道筋から「明治天皇行幸記念碑の旧地」を回り込んだ亀張水路を越えた向かいの高台から水路越しに眺めてみると、こんな風景が広がる。ここに「銀山関連施設の建物が描かれた地図」の情報を重ねると、右手の民家付近に一棟・水路を挟んだ付近に一棟の半田銀山関連施設が建っていたということになる。その奥に数棟の建物群が並んでいたという風景だったという事のようだ。
 明治天皇行幸記念碑の旧地という意味では、右手の赤い屋根の民家の建物の北側に建っていたのではないかと思われる。この付近の詳細図には明治天皇行幸記念碑の位置が示されている。
Commented by 栗原 久美 at 2012-07-22 14:33 x
初めまして。この11日に安達太良神社参拝し、こちらの記事にたどり着きました。安達太良神社と、大名倉山に関して、興味深く参考にさせていただきました。本宮町にも、明治天皇が本陣に宿泊されたという記念の松がありましたが、何とも奇異な‘感じ‘
であちこちのHPを検索しております。勉強不足もありますが、歴史的にみてなぜここに、と疑問でした。
 またアクセスさせていただきます。東京府中くらやみ祭りの大国魂神社近く在住。介護福祉士。
Commented by shingen1948 at 2012-07-23 12:39
コメントありがとうございます。
行幸には、それぞれの思惑があるようですね。官軍あるいは体制に対する不満分子への威圧という側面も感じますね。一方迎える方では、自己正当化の威圧という利用でしょうか。例えば、三島の万世大路への不満に対して、そして、この半田銀山では、興業の国益アピールでしょうかね。
もっと下々では天覧にかかわる権威付けでしょうかね。

本宮宿については、今では郡山が会津や浜との交流拠点になりますが、当時は、この役割を本宮宿が担っていたようです。その本宮宿では、北町が中心で、南町は新しくできた宿場という状況だったように聞いています。
 その町を仕切っていた本陣鴫原家というかかわりでしょうかね。
by shingen1948 | 2012-07-22 05:20 | 半田銀山 | Comments(2)