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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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大河ドラマ「平清盛」視聴~第28話「友の子、友の妻」②

 ドラマ「平清盛」としての視点でみれば、公卿についての裁断が武士によってなされたということが興味深く、その視点でも整理しておくのに2回に分けた。
 先に、元木氏の「保元・平治の乱を読みなおす」をもとに、乱勃発後、政治の主導権を把握した信頼は、後白河院を否定し、二条親政確立の立役者としてふるまったことを整理している。以下の部分を再掲する。
 信頼は、後白河近臣だったが、乱勃発後は、後白河の院御所を崩壊してその権威を否定し、後白河を内内裏の御所院に押し込め、政務から隔離した。
 一方、二条天皇を内裏に据えて、天皇の命の名のもとに公的な人事や処罰等の政務を推敲しているという。
 信頼は、仇敵信西を倒した後、公卿の仲間入り2年足らずで政治の主導権を把握して、得意の絶頂に立つのだが、後白河院を否定し、二条親政確立の立役者としてふるまったという事のようだ。
 この事で、惜方が後白河院に耳打ちできただろうし、耳打ちをされた後白河院が、二条天皇脱出前にたちまち脱出したであろうことも分かるとした。この回のドラマでは、後白河院が、信西の忠告にかかわらせるという伏線を入れて、信頼の助命懇願を拒否することともかかわる。
 今回は、元木氏の「保元・平治の乱を読みなおす」をもとに、公卿の行動に視点を当てて整理しておく。

  「平治物語」では、合戦のあった日、信頼は、成親と共に仁和寺に駆け込んだとか。この理由にかかわる説には、義朝の軍事行動に追従できなかったとか、後白河院の庇護を求めたとか、仁和寺の覚性から後白河院へのとりなしを期待したとか等々いろいろあるようだ。しかし、その理由はともあれ、ただちに清盛の舎弟常盛にその身柄は拘束され、六条河原で処刑されたという結果。
 元木氏は「愚管抄」をもとにして、この時に信頼は、信西の非を唱えたり、彼を裏切った惟方も同罪である事を主張したり、自分は公家であり、武士ではないので、斬首は免れるべき事を主張したのであろうと想像する。
 しかし、武士を率いて事件を惹き起こし、武装して戦闘に加わっていた戦闘員とみなされ処刑される。このことは、処刑が、鎮圧者である清盛が担当したことからも想像されるとか。

 ドラマでは軟弱な信頼像だが、実像はもっと武力に長けたイメージらしい。戦闘の行動に加え、信西を無残な最期に追いやり、院御所を襲撃して、多くの人命を奪うと共に、清浄を保つべき京中にケガレをまき散らしたとみなされたられたこともあるらしい。
 ただ、公卿であることの配慮は、首を大路に晒されると言う屈辱を免れた事で、公卿に昇進していなかった新西との差だとか。

 その一方で、一緒に行動した成親は、流罪からも免れ、単なる解官に留められ、2年後には右中将に復帰し後白河側近に加わったとか。元木氏は、妹が重盛の室であった事からの助命という「平治物語」の説に近い想像。
 師仲は、神鏡を守った恩賞で減刑を期待したらしいが、ただちに解官、公卿としては最高刑の下野国へ配流される。帰京を許されるのは6年後とのこと。
 誰もが注目するのが、これ等が武士である清盛よってなされた裁断ということだろう。

 第28話「友の子、友の妻」の要点を「エキサイトドラマ特集『大河ドラマ平清盛』」からお借りする。
 「友の子、友の妻」
 義朝(玉木宏)は敗れた…清盛(松山ケンイチ)は信頼(塚地武雅)を斬首する。武士の裁断により公ぎょうが斬首されるほどに、時代は変わっていた。東国へ頼朝(中川大志)らとおちのびた義朝であったが、一人はぐれ、一人自刃し、ついに正清(趙珉和)と二人だけになり、彼のしゅうとになる尾張の長田忠致(長谷川公彦)の館にかろうじてたどりつく。が、長田の裏切りを察知した義朝は正清とともに自害する。一方とらえられた頼朝は京で清盛と対面。平氏一門は源氏嫡男・頼朝の首をはねることを論議する。池禅尼(和久井映見)は気丈な頼朝に家盛(大東駿介)の面影を見、助命嘆願して断食に入る。頼朝の命の行方に、清盛が下した決断とは?そしてついに常盤御前(武井咲)が、牛若丸(のちの義経)を出産する。

by shingen1948 | 2012-07-21 05:56 | ☆ 映画話題と視聴記録 | Comments(0)