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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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明治天皇行幸記念碑の旧地?④~半田散歩から⑰

 図書館で半田銀山全図を眺めていたら、銀山関連施設の建物に小さな解説が付されているのに気がついた。それを虫眼鏡をお借りして拡大して見てみた。
 施設の詳細は分からないが、関連施設が第1~第4まであるようで、それらの施設を結ぶのはトロッコ道だろうかとか、高架になっているようなところもあるななどとどうでもいいことを想いながら眺めていた。その中で気になったのが、一番手前の大きな建物に「事務所」とあったことだ。その左脇を道筋が走る。これを何気なく眺めていた時には川筋に見えていたものだ。

 もしもということだが、ここで描かれている事務所が、明治6年に五代友厚が建てた全国の鉱山の管理事務所「弘成館」だとするならば、半田銀山全図は「明治天皇行幸記念碑の旧地」付近から見た銀山関連施設群という事にならないかということだ。
 更には、「明治9年6月21日 明治天皇は奥羽御巡幸にあたり右大臣岩倉具視、参議大久保利通、内閣顧問木戸孝充外を随伴し半田銀山に御臨幸され鉱山施設をつぶさにご覧になられた」という施設群ということにもならないかということだ。

 桑折町史には、明治43年新沼決壊の「被害地略図」の原本になったのではないかと想像される図が載っている。そちらには、事務所と思われる建物の後ろにもっと多くの銀山関連施設群が描かれていた。この図とも重なるものなのかも、……。

 まだ、「もしも」という曖昧さを付した中ではあるが、想像は自由という事で、「明治天皇行幸記念碑の旧地」は、「半田銀山全図」・「銀山関連施設の建物が描かれた地図」・「明治天皇がつぶさにご覧になられた鉱山施設」・「買石の町として完成されていた歴史的な背景」の情報を皆つなぎ合わせてくれる位置ということなのではないかと思う。次の機会にはそんな目で明治天皇行幸記念碑の旧地を訪ねてみたい。a0087378_4513369.jpg 

 明治天皇行幸記念碑の旧地を探すのに、この付近の詳細図を眺めていたら、亀張水路に入り込んだ道筋は、現況の詳細な字界を確認したら、この道筋が字「銀山西」と字「銀山」、及び水路の南側の字「銀山南」の字界付近らしいということが分かった。それまでは、字「銀山西」の範疇だろうと思っていたのだ。
 これは、昨日の散歩した界隈図に反映させた。

 もう一つ、最近写真を確認していて、新たに半田発電所が描かれる図を見つけた。
by shingen1948 | 2012-07-19 05:20 | 半田銀山 | Comments(0)