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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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明治天皇行幸記念碑の旧地?~半田散歩から⑮

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 案内板の解説によると、この「明治天皇行幸記念碑」は、昭和6年8月に当時の半田村が、北半田字銀山の弘成館前に建立したという。それを、半田銀山史跡保存整備事業でここに移転したとのことだ。
 「広報誌コラム『半田銀山遺跡(南半田字女郎橋)』」では、「旧鉱山事務所跡にあったその記念碑」という表現になる。
 どちらも事実なら、この「明治天皇行幸記念碑」の旧地は、旧鉱山事務所跡であり、そこは、北半田字銀山の「弘成館」前であることになる。
 この「弘成館」が、明治期の五代友厚が経営した銀山経営社とのことだ。

a0087378_4124647.jpg これは、郡役所に掲示されていた「明治天皇行幸記念碑」の写真だが、その旧地にあった当時の様子らしい。ここでの解説では、「弘成館」については、「初代大阪商工会議所会頭をつとめた五代友厚が明治6年につくった全国の鉱山の管理事務所」との表現。また、この「明治天皇行幸記念碑」の旧地は、「弘成館の精錬場跡」と表現される。周りに写り込んでいる風景は、移転前の時点での弘成館の精錬場跡の現況ということになる。


a0087378_4203634.jpg  これは、先に亀張水路をたどって、水路が道筋からそれることを意識して撮った写真を元に、左手の民家が中心になるように少し加工したもの。
 水路確認時には分かっていなかったが、確認していったら、ここが「明治天皇行幸記念碑」の旧地らしいことが分かったということだ。
 ということは、ここが明治期の銀山経営社だった弘成館の旧鉱山事務所跡であり、精錬場跡らいしということになる。更には、ここは北半田字銀山の「弘成館」前でもあるという事になるのではないかと思う。別解説では、「買石町」の「銀山本部事務所」に在ったと表現されるものもみる。
by shingen1948 | 2012-07-16 05:20 | 半田銀山 | Comments(0)