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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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再び「半田銀山史跡公園」に立ち寄って②~半田散歩から⑭

a0087378_533783.jpg これが、「広報誌コラム『半田銀山遺跡(南半田字女郎橋)』」に、「ここには(半田銀山史跡公園)五代を祀る祠も設けられたと紹介」される五代を祀る祠らしい。
 a0087378_5335275.jpg 半田銀山は、歴史が古い事と佐渡金山・生野銀山とならんで日本三大鉱山で規模が大きかったことが強調される。それで、つい古来日本三大鉱山の規模が継続していたと錯覚してしまう。しかし、隆盛を極めたのは、「慶長から万治年間に至る50年間」と「明治7年に五代友厚の経営となり再興してから」ということらしい。
 「広報誌コラム『半田銀山遺跡(南半田字女郎橋)』」は、その「明治7年に五代友厚の経営となり再興してから」の様子を以下のように解説する。設備は洋式、純益は当時最大だったとか。
 明治になって、薩摩藩出身の五代友厚が経営するようになります。五代は西洋の技術を導入し、半田銀山を近代鉱山として再建させました。それまでの技術では銀に精錬できなかった鉱滓を、精錬できるようになった部分が大きかったといわれています。この間、明治天皇の行幸を仰ぎ、旧鉱山事務所跡にあったその記念碑が、今は半田銀山史跡公園に移設されています。
 また、ここには、五代を祀る祠も設けられています。
 五代友厚氏が明治18年9月51歳で死去した後は、長男の龍作氏が経営したという。確かに、祠には龍作氏の名もある。
 この五代の鉱山経営は、後年に三井・三菱・古河の手本になったとも。しかし、手本になったのはそれだけではない。、福島に水力発電所を創設したとされる菅原道明も、五代龍作から水力電気の原理を教わったという。
 そもそも亀張水路を丁寧に探ってみようと思ったのは、福島市外庭坂村に水力発電所を創設した菅原道明が、五代龍作から水力電気の原理を教わったというその半田発電所を確認してみたかったからだ。
 亀張水路は、大震災の復旧工事の影響でよく確認できないところがあったが、半田公園に掲げられた資料から、「半田発電所はどこ?」にかかわる資料を眺め、散歩とつなげてみることはできそうだと思っている。
by shingen1948 | 2012-07-14 05:38 | 半田銀山 | Comments(0)