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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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坑口「再光」の想像~半田散歩から⑫

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 半田銀山坑夫供養塔や明治天皇行幸記念碑などが集められ整備された半田銀山史跡公園については、先に整理している。この時に、旧道筋や女郎橋でまたぐ水路筋は、イメージしているのだが、このインパクトの強い橋台とかかわるトロッコ道がイメージできていなかった。

 「街道web」の「半田銀山専用軌道」のページによれば、その役割は、次のような事とか。
 明治になって導入された近代技術により採鉱量が増加し、それに伴ってズリの量も増大していった。ついには鉱山の東を通る羽州街道を越えてズリ捨て場が拡大されることになり、専用軌道開通2年後の大正8年(1919)、街道に跨道橋が建設された。

 この跨道橋は、坑口「再光」から続くトロッコ道の一部とのことだが、それを実感するところまで観察していなかったということだ。
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 風景そのものを実感することはできないとのことなので、次の手法で、今の風景に当時の風景を重ねることでイメージできないか試してみることにした。
 まず、この跨道橋の西側の風景をいろいろな角度から撮っておく。次に、昔に撮られた写真の風景と照らし合わせてみる。
 その昔に撮られた写真の風景として、「半田銀山専用軌道」のページに掲げられたこの写真をお借りする。

a0087378_5173377.jpg この写真は、トロッコ道筋が推定される道筋の両側に街道から西に向かう道筋があるのだが、その南側の道筋から撮ったものだ。
 これが、昔に撮られた写真の山の稜線に近い。それで、その稜線に合わせて周辺をカットするという加工を加えてみたものだ。勝手な想像だが、右手の鎖で通行を遮断する道筋は、銀山事務所への道筋の名残だろうか。
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 今度は、後ろに写る近景の山の稜線を意識してみる。すると、この山際は、先に整理した野村隈畔の眠る墓地の北側の風景と重なっている。その近景の山際の稜線に合わせて、更に切り取りを進めると坑口「再光」付近は、こんな感じだろうか。
 確定とまではいかないが、おぼろげながら、坑口「再光」とそこから続くトロッコ道がイメージ出来たような気分になっている。
by shingen1948 | 2012-07-12 05:20 | 半田銀山 | Comments(0)