地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28

「字熊野」の益子神社~半田散歩から⑪

 「字熊野」について、この地は神聖な場所であったと勝手にイメージを膨らませた。
 そこに、地域の人々は、自然の脅威を神として恐れ、崇め奉り鎮めるために、また、山の恵みに感謝して多くの祠が建てられたのではないか想像した。
 それ等の祀られた地域の守り神、氏神様、鎮守様が、何らかの理由で益子神社に合祀されてきたのではないかという想像だ。

 そういう視点で、案内に掲げられた益子神社伝承諸説をながめてみる。
 気になるのが、次の伝承で、これは何らかの理由で「赤瀬大明神」を合祀した事を示しているのではないかと想像を膨らます。
 奈良時代後期から平安の初めにかけて、坂上田村麻呂将軍等、朝廷側による蝦夷平定の際に、此の地で打ち取られた大竹丸の仲間で、この地域の有力者であつた「赤頭太郎」を鎮める為に、「赤頭大明神」又は「赤瀬大明神」を建立し、此の地に合祀した。
a0087378_454871.jpg
 ここで思い当たるのが、「赤瀬」という地名?。
 羽州街道「御免町」に「赤瀬舘」の案内柱が建つ。この地形を大きく捉えれば、「字熊野」の地の高まりの縁の部分に当たる。

a0087378_5104113.jpg これは、その「赤瀬舘」の案内柱が建つ付近を、羽州街道西側からみているが、ここに、過去には「赤瀬大明神」があったのではないかとの勝手な想像だ。

 もう一つは、「山の神」としての猿をお祭したとの伝承。猿を「山の神」の化身であるとする信仰は日本各地にあるとのことで、この地独特の言い伝えとは思えない。
 祭神を確認すると、「山の神」は、羽山祇命・大山祇命・金山彦命とのことだ。
 このうちの金山彦命は半田銀山とかかわりそうなイメージで、羽山祇命はいわゆる羽山信仰とのかかわりかなと思う。
 この言い伝えは、大山祇命とかかわるのかなというのも勝手な想像。勝手ついでに、大山祇命を、山の樹木が雨水を涵養することから水源・水利の神として位置付けて想像すると、次の大蛇伝説は、豊かな水にかかわる神が想像される。
 茂庭の菅沼に住みついた大蛇が、半田沼へ移り住む途中で、茂庭周坊・阿部道学等に退治され、藤田村の人々がその祟りを鎮める為に、半田山の麓に「増子大明神」祀った。
a0087378_512839.jpg これは、街道筋を歩く途中で見かけて何気なく撮った井戸だが、この辺りまで含めて、豊かな湧水の里という印象は強い。
 この散歩での実感を付け加えれば、羽山に相当するこの西の高まりに、こんこんと湧き出る泉と、治水に苦労しているとはいえ、半田沼という大地を潤すのに活用する豊かな水量をこの地に送り出す水路だろうか。そして、その奥に荒々しい山々……。

 散歩の実感から、益子神社を通してこれ等「字熊野」の神々をイメージしたという、勝手な想像でしかない。
by shingen1948 | 2012-07-11 05:20 | 半田銀山 | Comments(0)