地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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熊野神社と益子神社~半田散歩から⑪

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 「字熊野」の地には、明治43年(1910)8月16日発生「半田沼決壊」まで熊野神社があって、かつてはお祭りも行われていたという。その南側には益子神社もあったというのが、明治43年(1910)以前の「字熊野」の地の風景ということになるらしい。

 災害地図では、この辺り一帯が「半田沼決壊」の被害に合うとあるが、散歩してみると、その被害の状況は一様ではなさそうだと思える。
 熊野神社付近は、土石流による被害で、熊野神社はその土石流に飲み込まれてしまったのだと思う。
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 益子神社の南側の被害は、地形的にみて、逆に水流に削り取られる被害だったのではないかと思う。勢いよく流れる流水の被害がイメージされる。
a0087378_4261042.jpg これは、益子神社の裏手からみているが、益子神社は、地形的に土石流にも水流に削り取られる被害にも合わずに済むところだったのだろうと思う。

 今回の大震災の津波被害にかかわって、神社と貝塚が生き残っている風景が象徴的との情報がある。災害の質は違うが、益子神社も同じような状況になって、自らの役割に、熊野神社が背負っていた背景も引き受けたというのが現在の姿なのではないかと勝手に思う。
 神社は、その時代その時代に難に逢って淘汰されていくという経緯の中で、生き残った地に、再生させていくという事を繰り返して来たのではないかと思えてきている。

 拝殿にある口語体で書かれた案内文は、神社について詳しく解説する。その中の以下の多くの御祭神。この地に在った他の神々が背負っていた背景も引き受けていった経緯が想像できる。
 〇 伊邪那岐命・伊邪那美命(すべての命の源の神様)
 〇 羽山祇命(山の神様)
 〇 大山祇命(山の神様)
 〇 金山彦命(金属の神様)

 これ等は「字熊野」の神々で、益子神社自らの役割に加え、熊野神社の神々をはじめこの「字熊野」の神々を引き受けて祀った神々なのではないかと、勝手に思う。
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 解説文にあるように、地元の人々にとってこの熊野の地は神聖な場所であったのだと思う。ここに、自然の脅威を神として恐れ、崇め奉り鎮めるために、また、山の恵みに感謝して多くの祠が建てられたのではないかと思う。
 そして、これら地域の守り神、氏神様、鎮守様として信仰を集めていた神社が、何らかの理由で合祀され、明治43年までは熊野神社と益子神社の二つがこの役割を担ってきたのではないかと思う。それが、明治43年からは益子神社ただ一社でその役割を担っている状況なのではないかと想像する。
 その名残が、本殿裏手の石宮群なのではないかと勝手に想像する。

 もう一つその名残だと思うのが、伝承諸説だ。これも勝手な想像だが、合祀するのにそれらしい理由をつけてみた事が伝承されているのではないかとみると楽しい。
 なお、無能上人がこの益子神社の南側に庵を結ぶんだのは、の地の賑わいのイメージだったが、今はこの地の神聖さだったのではないかと思えてきている。
by shingen1948 | 2012-07-10 05:20 | 半田銀山 | Comments(0)