林道半田山線起点付近の風景~半田散歩から⑥
2012年 07月 03日
その道筋を進むと、左手の民家が切れる辺りに、池があって、案内の石碑が建っているのを見つけた。
記念碑栗和田御免町とのことだが、御免町は、羽州街道の早田邸付近から益子神社にかけての集落だろうか。そこから益子神社の南側の道筋に沿った集落を含めた集落の集合体の簡易水道組合ということだろうか。
此の水道は、昭和32年生活改善の一環として水道の重要性の認識に依り、当時阿部巖司氏ほか34名の総意に基づき昭和33年4月完成給水を始め以来組合各位の協力のもと現在に至っており創立25周年を迎えこれを建立する。
昭和58年3月 栗和田御免町簡易水道組合建立
ここからやや進んだ地点に「林道半田山線北口起点」の標柱が建つ。
想像するに、明治43年新沼決壊被害地略図でいうその御免町から真っ直ぐ西に進んでいた道筋が一度北に向かって、更に西を目ざして進むその道筋との交点付近だろうと想像する。
道筋は真っすぐ西に向かうが、ここから少し登った左手に飲み水設備がある。ここは、銀山水道組合が管理する飲み水専用設備との表示。農作業の合間や山仕事の通り道にここで水分補給するのだろうか。
ここまで、急な坂道をママチャリを押しながら登ってきて疲れたので、その水を頂き少し休ませていただいた。
北側の高まりを眺めていると、白い案内柱が見えたので、そちらに向かってみたら、「鉱山工夫墓群」ということだった。
道筋に戻ってしばらく進むと、小屋が建っていて、そこに「顕頌碑」の案内板が建つ。これも水道施設のようだ。
先に水分補給させていただいた飲み水専用設備は、こちらの水道組合とのかかわりらしい。栗和田御免町簡易水道組合より2年遅れてスタートしたようだ。今も、栗和田御免町簡易水道組合が、銀山水道組合と独立して、先の水源を使っているのかどうかは分からないが、二つの水道組合の水源地帯になっている。
顕頌碑
銀山水道は、昭和34年生活改善の一環として、水道の必要性の認識に依って発起人武田喜市氏、横山周之助氏、佐藤栄寿氏、鈴木清蔵氏、紺野市夫氏、外10名の総意により武田氏を代表並びに、組合長とし、責任を果たされ銀山水道組合として完成、給水を始め現在に至っており、ここに創立30年を迎え、これを建立する。
昭和63年5月吉日
銀山水道組合
この道筋に入ってきたのは、灌漑用水としての亀張水路を確かめるためだったが、歩いてみると、この道筋に沿って豊かな湧水地帯の風景であることを感じたということだ。これも、えっちらおっちらとママチャリを押して苦労して登ってきた事で気づかされた風景だと思う。