地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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映画視聴記録「第五福竜丸」

 この映画の上映の主旨はいろいろあるようだが、今回みたいと思ったのは、5月29日に100歳の映画監督で脚本家、文化勲章受章者の新藤兼人監督が亡くなったというニュースをみたこととのかかわりだ。
 氏の「自分の撮りたい映画を作るために独立プロダクションを立ち上げ、幾多の困難を乗り越えながら徹底したリアリズムで戦争と核、人間の生や性、家族、老いなどを描き、晩年まで新たなテーマや表現の可能性に挑戦し続けた生涯(NHKウェーブ特集)」の断片のいくつかを見聞きしていた。
 この「第五福竜丸」が絡む経歴を、「新藤兼人 百年の軌跡」の経歴紹介のページから拾うと、以下の部分だろうか。
 50年(昭和25)、松竹を退社し、吉村公三郎、殿山泰司たちと独立プロ「近代映画協会」を設立。
 51年(昭和26)『愛妻物語』で監督デビュー。以降、『原爆の子』、『第五福竜丸』など近代映画協会を拠点に旺盛な創作活動を開始する。
 60年(昭和35)、全編セリフを排した『裸の島』がモスクワ国際映画祭のグランプリに輝く。

 ここに、「映画人九条の会4・14映画と講演の集い」のページから、氏の発言を重ね合わせてみる。
 『原爆の子』は、劇映画として作ったけれども、今度はそれをやめて、第五福竜丸が被った被曝の状況などを、全部事実の通りにやってみたい、と思ったんです。事実の通りに。
だけど記録映画で撮れるわけじゃないから、シナリオを事実の通りに書いて、それを俳優でやる、ということですね。一つの試みだと思いましたよ。ドキュメンタリーに対する一つの試み。全部俳優がやるんだけれども、事実通りにシナリオを書いて、そのままやってみるということなんです。これが、僕が長年映画をやっていて、いつか試みてみたいと思ったやり方なんです。
 なぜそれをやるかというと、それで一つ映画のリアリズムに近づくことが出来るんではないか、ということなんです。それでぜひ実験的にやろうと。
 この映画がまたあまり受けないんです(笑い)。「えっ、原爆?原爆ですか」っていうような感じですね。関心がないんです。観る人は観てくださったんですが、受けない。

 それでいよいよ解散かと思って、解散の準備をして、記念作品に「裸の島」という映画を一つ作って、これを最後に解散しよう、ということになったんです。これが最低の予算で、最低の銭で作ったんだけれど、どういうわけかモスクワ映画祭でグランプリを獲って、世界中に売れたんですよ。
 今回も、「観る人は観てくださる」観客は、おっさんとおばさんでまばらだった。
by shingen1948 | 2012-06-24 05:26 | ☆ 映画話題と視聴記録 | Comments(0)