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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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半田銀山中鋪跡~半田散歩から④

 亀張水路を先に整理したが、実際には、途中に半田銀山中鋪坑口を確かめた。

 半田沼から旧道の道筋に沿って進み少し進むと、脇の亀張水路を跨いで左手に入る道筋がある。これが、半田銀山坑口への道筋だと案内される。小心者にとっては、「熊に注意」の立て看板に躊躇する気持ちもあるが、熊鈴をつけて先に進んでみる。
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 亀張水路に合わさる水路を渡って、暫く進むと、右下にそれらしきものが見える。

 階段を降りた辺りが、その坑口なのだろう。
a0087378_34815.jpg 回り込んでみると、それらしき風景。先にみた国見町指定の二階平坑口跡と似ているような違うような。

 中を覗いてみると、ちょっと違う。
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 丸いドームのようなものが続く。案内板の説明と照らし合わせると、「現在の坑口は、半田銀山操業廃止後の昭和40年代、資源調査のために掘削されたもの」ということとのかかわりだろうと思う。奥に本来の坑道らしきものが写るのが、「江戸時代からの坑道に達している」ということだろうと思う。更には「本来の坑口は、もっと南側にあったらしいが、土砂崩れのため消失した。」付近なのだろうと想像する。

 半田銀山中鋪跡
 所在地 桑折町大字半田字平
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 半田銀山は、近世初頭に開発された銀山である。江戸時代中頃には、幕府の直轄鉱山ともなり、桑折代官所には銀山方の役人が置かれ、関連施設もあった。
 中鋪と呼ばれる坑道は、坑道のなかでも上部に位置し、「半田銀山絵図」では、「中鋪」にあたるとみられる。更に山の上には、露頭を直接掘削した「むじな掘り」と呼ばれる坑口や、擂鉢状の露天掘跡があり、付近には上杉時代に掘削されたとされる栗林鋪もあったとされる。坑道内の煤の調査でも、近世初頭とされ、半田銀山の中では古い部類に入る坑である。なお、本来の坑口は、もっと南側にあったらしいが、土砂崩れのため消失した。現在の坑口は、半田銀山操業廃止後の昭和40年代、資源調査のために掘削されたもので、江戸時代からの坑道に達している。
 日本三大鉱山に数えられた半田銀山の数少ない遺構である。

 平成21年9月30日
 桑折町ライオンズクラブ
 桑折町教育委員会

 国見町指定の二階平坑口跡には、先に立ち寄って「半田銀山遺跡」として整理している。その時、案内に従って唯一の坑口と整理した事と桑折町の半田沼公園に「半田銀山中鋪跡」があるという情報との兼ね合いが気になっていた。これが、坑口の風景という観点からは、「国見町指定の二階平坑口跡」が唯一ということで納得する。
by shingen1948 | 2012-06-15 03:58 | 半田銀山 | Comments(0)