野村隈畔?~半田散歩から
2012年 06月 11日
その風景はもともと在るものであり、そこに住む人にとっては当たり前に見えている風景でしかないはず。
それでも、視野に入っていなかったものが、突然見え出すということなので、個人的には大発見に思えるというところだ。
そんな風景の一つが、「哲学者 野村隈畔?の墓」の標柱が建つ風景。
「デジタル版 日本人名大辞典」で、以下の事が確認できた。
1884-1921 明治-大正時代の哲学者,評論家。別の情報ともつながったのが、「ふくしまの名著」つながり。
明治17年8月5日生まれ。41年岸本能武太(のぶた)をたよって上京,絶対自由主義をとなえて「六合(りくごう)雑誌」「第三帝国」に論文を発表。大正10年「永劫(えいごう)の彼岸(ひがん)へ」の遺作をのこし,その恋愛哲学論に共鳴した女性と心中した。11月5日遺体発見。38歳。福島県出身。本名は善兵衛。著作に「ベルグソンと現代思潮」「自我の研究」など。
【格言など】永劫無限の世界に旅立つ。これ哲人の希望であり歓喜である(死の直前の日記)
平成22年、福島県立図書館で「ふくしまの名著展」があって、その時に関連講演会があった。その話をお聞きしたのだが、面白かったのが、古書を探すマニア的な話。それとつながりそうな情報が、「文化福島」<平成6年2月号>に、「ふくしまの名著〈71〉野村隈畔著『自我の研究』……菅野 俊之」が載っているらしいということ。
頂いた資料を確認したら、残念ながらそこにはこの紹介文が載っていなかった。後日、どんなことが紹介されたか確かめてみたい。
「福島県民百科」で得た情報を付け加える。
福島県出身とあるが、これが、「伊達郡半田村(現桑折町)に生まれ、小学校卒業後農業に従事していて、明治41年(1908)に本能武太をたよって上京」とのことだ。
「第三帝国」に論文を発表とあるが、その論文で、筆禍事件を起こし下獄したこともあるとか。
恋愛哲学論に共鳴した女性と心中したとあるが、これは、1921年夏、東京音楽学校で恋愛哲学を講じた経緯の中で起きたことで、その聴講生岡村梅子との恋愛らしい。「その10月神秘自由永劫無限の世界を求め、「永劫の彼岸へ」を残して情死した」と紹介される。その情死さえも哲学として扱われている。
ここに、その哲学者 野村隈畔が眠るという風景のようだ。