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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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地域の人々が伝える祈る心~観音寺

 この裏山が伊達氏とかかわりの深い西山城であり、その発掘調査に参加する時には、いつもこの寺が駐車場に指定される。また、「観音寺と指定文化財」の案内板には、以下のように、「伊達家4代政依が、伊達5ケ寺の一つとして建てた寺院」とする。
 それで、ここの散歩では、この観音寺を伊達氏とのかかわり見ていたように思う。
 観音寺と指定文化財
 観音寺は、宝治年間(1247~48)に伊達家4代政依が、父義広の菩提のために建立したといわれ、伊達5ケ寺(満勝寺・東昌寺・光明寺・観音寺)の中で唯一現存する寺院であり、県指定文化財4件、町指定文化財8件を所有している寺院である。
 桑折町教育委員会

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 浄土宗とのかかわりの視点で資料をめくると、この観音寺は、「宝永年間(1704から10)に、住職の良円が中興開山となって浄土宗に改められた。山号を大悲山と称し、いわき市専称寺の末寺である。」と記載されるのを見る。確認はしていない。
 また、先の案内板では、町指定文化財の項に、「孝子善之丞幽冥感見の曼荼羅2幅(平成6年4月28日指定)」の記載をみつける。

 この絵の主人公が、先の「直往庵」の庵主である善之丞で、この観音寺が地獄極楽の様を感得した霊場であるというかかわりということのようだ。

 この絵は、以下のような内容だとされる。
 伊達郡半田村の孝子松野善之丞が父の病気平癒を願い、観音寺観音に参詣を果たしたところ、地蔵菩薩に連れられ地獄、極楽をめぐる話を中心にしている。そして、最後に父の病気が回復し、善之丞自身も出家、念仏して、元文2年(1737)3月15日に極楽往生を遂げた。
 善之丞に冥途を感見させたのは、実は無能上人であったということでのつながりも。

 この話の内容は、「孝子善之丞略伝」に詳しく記されているとのことで、二幅の絵の内容も、その略伝の内容に添って地獄、極楽を中心にして各場面が描かれているという。
 更に、この二幅の絵は、絵の内容を口承で説明する絵解きということに使われたものでないかとのことだ。
by shingen1948 | 2012-06-05 05:27 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)