人気ブログランキング |

地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

大河ドラマ「平清盛」視聴~第21話「保元の乱」

 この回の視聴率は、10.2%で、このドラマの最低視聴率とか。「ロンドンオリンピックバレーボール世界最終予選」とのかかわりとか。

 家人が読んでいた「謎とき平清盛」では、この「保元の乱」で注目すべきは以下の事だとしていた。
 それまでは陰謀とか暗躍とか、他の人間にまるで分らぬ「コップの中の嵐」として行われていた宮中の権力抗争が、「武力を駆使しての戦闘」という、誰の目にも明確な形で解決された、ということ。
 そして、これは、「軍事力が政治をドラマチックに変革する時代の到来であり、平安時代末朝廷の政治における史像になり得る」としている。
 この時代、天皇の周辺で軍事行動が起きて、それが権力の帰趨を定めるといった事態はこの上なく異様なことだというのが前提のようだ。

 楽しいドラマの視聴とかかわるのは、このドラマは、崇徳上皇・頼長方と後白河天皇・信西方の政権を巡る争いでデザインされるのだが、その構図の方法を誰がデザインしたのかということに視点を当てるということだろうか。
 それには、その能力として、過去の軍事行動熟知し、武士を組織する行動力を持っていることが必要ということであり、当然、その候補者の一人として、歴史に造詣の深い頼長が考えられるとする。
 しかし、頼長は賢明な人だったので、崇徳上皇と二人で協力することはあっても、それが武士を用いて謀反につなげるような無茶をする人ではないとのことだ。
 このことは、楽しいドラマの視聴のヒントをいただている「坂の上のサイドボード」では、頼長方は「武士としては二流どころで兵力も少なかった」とすることとつながるのだろう。この軍事力への対応が不十分であり、有力な武士を引き入れていないことを、その意図の弱さとみればいいのだろうか。

 この乱の構成をデザインするのは、勿論、信西との見方だ。
 同書では、この信西がこの乱を構成しようとする背景について、次のように説明する。
 まず、「文臣」の系譜と信西の経歴から、官途にかかわる信西の立場は難しいことを具体的に解説する。
 それが、鳥羽上皇にその能力を評価されて、藤原姓復姓の許可と小納言任命等を受け、その子息の格別の待遇を受けるのだが、その待遇には、しきたり等のかかわりから限界があったことが解説される。具体的には、信西の小納言という地位の曖昧さが解説される。
 それを、出家することで最高権力者の側近くに位置する事が可能になるという彼の読みの意図につなぐ。

 それらの背景のもとでこの乱の構成をデザインするそのねらいは、本格的な運営が難しい政権を強化することだとする。というのは、後白河天皇即位は、中継ぎの方便でもあり、本格的な政権運営は難しい。それで、頼長方と後白河天皇の二人を政敵として登場させ、それを葬り去る事でポイントを稼ぐというものとか。

 この乱後、信西は権勢を握るのだが、そのことを正当化する理由はどこにもない。ただ、保元の乱の勝利の立役者であることと、勝利をもたらした軍事力と密接な関係を保つことで、それは維持されるという見方のようだ。
 第21話「保元の乱」の要点を「エキサイトドラマ特集『大河ドラマ平清盛』」からお借りする。
 1156年7月10日深夜・上皇方と天皇方では軍議が行われていた。天皇方の義朝(玉木宏)・上皇方の為朝(橋本さとし)はそろって夜討ちが最上策とそれぞれ上申するが、天皇方・上皇方両者の反応は異なっていた。夜討ちを恥ずべき卑劣な策とする頼長(山本耕史)に対し、信西(阿部サダヲ)は戦に勝つことだけを目的に、積極的に義朝の案をとりいれる。7月11日寅(とら)の刻、ついに保元の乱の戦いの火ぶたが切っておとされる。後白河天皇(松田翔太)VS崇徳上皇(井浦新)、藤原忠通(堀部圭亮)VS藤原頼長、源義朝VS源為義、そして平清盛VS平忠正(豊原功補)のそれぞれの身内同士の戦いが、京の都でついに始まったのだ。亡き白河院の屋敷である白河殿のそれぞれの門や賀茂川の河原で、おのおのの壮絶な戦闘が始まる。

by shingen1948 | 2012-06-03 05:52 | ☆ 映画話題と視聴記録 | Comments(0)