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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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地域の人々が伝える祈る心~北半田村「塞耳庵」

 ここは、早田邸と益子神社の間にある空間で、現在、墓石のような記念碑が建っていて、以下のように案内される。
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 塞耳庵は奥州各地に念仏の教えを広められた無能上人が享保4年(1719)1月2日称名念仏の中入寂された処です。
平成5年春彼岸
「守一山 無能寺」
 ここが、無能上人の「塞耳庵」の一つとのことだ。
無能上人没後は、「遺命」によって門下の道心者蓮心が住居したという。なお、師の遺命に従って、御遺体は一度この庵室前に土葬されたとも聞く。

 凡人には、記念碑がなければ、早田邸の陰の空間でしかないと見えるが、一所不在の隠棲者の思いとしては、だからどうのということでもないのだろう。

 無能上人の住処は、正徳元年(1711)10月百万遍苦行の大願を成就した伊達郡小島の「弥陀大仏ノ霊堂」、正徳2年(1712)冬に引っ越して、正徳3年(1713)元旦から日課十万遍以上を衆するようになったという川俣の「塞耳庵」、そして、この北半田村「塞耳庵」の3箇所らしい。
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 伊達郡小島から、終焉の地に選んだと思われるこの庵に、何故、いつ移ったかは明らかではないとのことだが、北半田村との縁としては、以下のようなことらしい。
 〇 正徳3年(1713)夏以降、篤信者高橋長次兵衛家との仏縁
 〇 正徳5年(1715)11月大安寺での勧化
 〇 大安寺は、無能の師良寛は、住持する寺

 享保3年(1718)春から身体の衰弱を覚えていた上人は、その12月に門弟を集め、臨終時の行儀と没後の取り扱いを細かく指示し、翌年正月2日6時に臨終。
4日に門人たちは師の遺命に従って、庵室前に土葬したとのことだ。
by shingen1948 | 2012-06-02 05:20 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)