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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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大河ドラマ「平清盛」視聴~第20話「前夜の決断」

 前週14・7%と回復した視聴率が、再び11.8%とか。
 ただし、我が家では、権力闘争における複雑な関係図が話題になるようになって、とりあえずチャンネル権を争う状況にはない。
 この背景は、複雑な人間関係の分かりにくさなどということにとどまらず、平清盛の人間像そのものに魅力を感じていないということなのかもしれないと思える。
 その風潮作りに貢献したのが、勝者の視点で描かれた「平家物語」という事だろうか。
 その主として正義の源氏の敵の悪役として描かれてきた平清盛を、このドラマでは、天皇から政権を奪い、その後約700年間も続いた武士政権の礎を築いたことにスポットを当てて描くという視点変更にかかわる不人気なのかもしれないとも思う。

 ただ、この東北の地に住んでいると、このような敗者の侮蔑化が行われる物語を参考にしても、その侮蔑化や正義感は弱まって感じられる。というのは、その正義の勝者は、必ず手に入れた権力を振りかざして、この郷土の平和を脅かす侵略者となるという史実が提示されるからだ。

 ドラマを楽しむヒントをいただいている「坂の上のサイドボード」からは、平家側の事情を参考に楽しませてもらう。
 その一つ、清盛の叔父の平忠正の話。
 「忠正は、若い頃は兄の平忠盛と共に鳥羽院に仕えていたが、何らかの理由で鳥羽院より勘当となり、以後は藤原忠実、藤原頼長父子に仕えて立身した。」「鳥羽院の信任が厚い忠盛や清盛とは、早い段階から対立関係にあったようだ。また忠正の子・平長盛(ドラマには出てきていない)は崇徳院に仕え」という部分。
 その二が、清盛の決断の迷いにかかわる話。
 「実は伊勢平氏は崇徳院とも深い関係があった。崇徳院の皇子で後白河院と帝位を争った重仁親王が11歳で元服したとき、父・忠盛と正妻の宗子(池禅尼)が重仁の乳父・乳母になっていたのである。」という部分。
 検非違使である清盛の次男・平基盛が、崇徳院方に参陣しようとしていた大和源氏の源親治(宇野親治)を逮捕したことが、後白河帝に味方する意志を明確にしたことにほかならないことであること。

 家族の中での話では、ドラマで平忠正の行動は血を絶やさぬための方策だとするのにも説得力を感じていたが、こちらの選択の余地などなかったというのにも、説得力を感じる。
 そんな中、鳥羽院の恩顧に報いるか、崇徳院との縁故を優先するのか、迷いに迷った清盛が後白河帝方への参陣を決断したという話が深まった気がする。

 第20話「前夜の決断」の要点を「エキサイトドラマ特集『大河ドラマ平清盛』」からお借りする。
 保元元年、崇徳上皇(井浦新)と頼長(山本耕史)は、虐げられし者同士、共闘しつつあった。そんな二人に謀反の疑いをかけ、信西(阿部サダヲ)は武士たちに後白河方につくように命を発する。為義(小日文世)は崇徳・頼長側につく。清盛(松山ケンイチ)は上皇側天皇側どちらにもつかないと表明する。一方、義朝(玉木宏)は、為義を裏切り、天皇側につく。なかなか決断をくださない清盛を後白河は屋敷に呼び、ふたりだけの話し合いが始まる。後白河はたとえ勝っても武士の思うような世などこないと、清盛に言うが、本心は別のところにあるようだった。それを悟った清盛は、後白河が“自分と互角に渡りあえるところにのぼってこい”と言っている、だから天皇方に平家はつくのだと一門に伝える。だが、家盛(大東駿介)の弟である頼盛(西島隆弘)は、天皇方につくことを迷っていた。そんな頼盛の前にあらわれたのは…

by shingen1948 | 2012-05-26 04:52 | ☆ 映画話題と視聴記録 | Comments(0)