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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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地域の人々が伝える祈る心⑤~飯坂「塞耳庵」②

 適時ということでは、大河ドラマ「平清盛」にかかわる方を整理したいところだが、飯坂「塞耳庵」も途中だ。どっちを先にするかだが、適時を無視して飯坂「塞耳庵」を先にする。
 資料では、検証のために複雑な言い回しがあるのだが、散歩をする者にとって興味があるのは単純に、この庵の経緯。そのことに絞って整理する。
a0087378_4491597.jpg 飯坂「塞耳庵」
 元文5年9月 良照不能開創する。
 天明癸卯年 法禅尼が、中興する。
 文政2年4月 德譽素薫香山求寂尼が、その跡を継ぐ。

 「信達2郡村誌」では、中興の天明癸卯年法禅尼が創建と記される。中興の法禅尼は、この「塞耳庵」で亡くなられたらしい。その跡を求寂尼が継いだとみるらしい。
 また、筆弟子等建立から、寺小屋的な性格を持ち合わせたことを推定し、信仰と教育活動を併せ持つ事で、この庵を復興維持管理していたとみているようだ。

 その道に通じている方にとっては、「塞耳庵」と「良照不能開創」が気になるところらしい。
 「良照不能開創」なら、無能寺建立の不能上人の草庵で、笹谷の「称名庵」で整理した不能上人の活躍の後で、ここに住を移されたということになるのだろうか。
 その道に通じる方の根拠は、無能寺末寺帳で、飯坂「塞耳庵」が元文5年9月良照不能開創になっているらしいことと、「無能和尚行業遺事」の不能の序文に、「時に元文5庚申の歳9月終わりの5日、遺弟沙門不能、陸奥信夫の里丸山の麓の塞耳庵にして是を記し侍う」とあるらしいことのようだ。

 「塞耳庵」は、無能上人とのかかわりをイメージする名称らしい。
 命名は不能上人だろうか。憧れた無能上人にあやかりたいとの思いなのか、その域に達したと思われたのかは凡人には分からない。

 地域の方の見方だが、住民から「ゴアン」と呼ばれているとのことだったが、自分が聞いたのは、「『ゴアン』の地蔵様」だった。
 これらのことから、自分の感覚に素直に従ってこの風景を解釈する。

 地域の方の感覚を中心にしてみれば、この風景は、手の届かない聖人がお住みになったという語感「ゴアン」に聖地というイメージを込めるが、それが石塔群に象徴的に感じられる事ではないかなぁと思う。合わせて、そのありがたさに手を合わせてしまう対象として地蔵様がいらっしゃるということなのではないのだろうか。 勝手な想像だが、……。
by shingen1948 | 2012-05-19 05:20 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)