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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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地域の人々が伝える祈る心④~飯坂「塞耳庵」

 笹谷の「称名庵」で気になった風景を確認したところだが、その作業を通して、ここが飯坂「塞耳庵」の風景であるらしいことが分かった。
a0087378_4385496.jpg この「塞耳庵」は、「信達二郡村誌」では、上飯坂村の項で以下のように記される。
 元標の西南1町50間、夜蚊坂に在り。伊達郡桑折村浄土宗無能寺の末派なり。境内東西12間6寸、南北13間、面積5畝7歩3厘。天明癸卯年法禅尼開基創建す。

 この風景、散歩の中で気になる風景であったが、それを知る手がかりが無かったのだが、確認作業の中で、上飯坂村の「塞耳庵」の現状を記す資料を見つけたのだ。
 現在、当庵は住民から「ゴアン」(御庵か?)と呼ばれているが、すでに庵室の体をなしておらず、石造地蔵尊と3基の石塔に屋根がかけられているだけである。そのうち1基は無能名号が刻まれた供養塔(文化元年5月14日)で、いま1つは「当庵中興 祥興慈薫求寂尼 天保14卯年8月12日 関備前守内國分三益次女 筆弟子等建立」と刻まれている。

 「石造地蔵尊と3基の石塔に屋根がかけられているだけである。」という全体像は、その通りである。
 石塔について確認すると、「文化元年5月14日の無能名号が刻まれた供養塔」というのは、右側の石塔のことだろうと判読できる。付け加えれば、左に、「誓譽妙連法尼」とあり、右に、「本秀智性求寂尼」とある。
 そして、「天保14卯年8月12日の当庵中興 祥興慈薫求寂尼で、関備前守内國分三益次女 筆弟子等建立」というのが、中央の石塔だろう。「関備前守内國分三益次女 筆弟子等建立」は左側に、「天保14卯年8月12日」は右側に刻まれる。
 一番左側の小さな石塔の解説はないが、「德譽素薫香山求寂尼」が中央に、「元治2乙丑年2月○(2?)9日」が右側に、「大和國○村駿河 家中上山氏」が左側に刻まれる。

 なお、ここは、「花水山孝徳寺~高舘周辺散歩」の散歩で、高舘周辺案内図の表示から明治6年(1873年)に廃寺になった「花水山孝徳寺」の跡なのではないかと勝手に思ったところでもある。この近くらしいとは思うのだが、こちらの確認はまだできていない。
 
 笹谷の「称名庵」で整理した不能上人のその後と、この飯坂の塞耳庵のかかわりを指摘する資料もみる。
by shingen1948 | 2012-05-18 05:20 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)