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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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地域の人々が伝える祈る心

 「季節便り2012年の桜の頃④~熊野神社の風景を切り取る」で気になる風景を見つけた事について、確認を続けてみる。
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 庵に掲げられた案内板に、この「石仏」について、以下のように解説されている。

 石仏 阿弥陀如来座像
 由来
 黒沢信海和尚が享保年間に(この庵を)開山、その数年後、地域の仏名会の数十名が地域の無病息災、家内安全を祈念して献立した。
 
 如来は、仏様と一般によばれているが元来仏様の教えやさとり慈悲(思いやり)を表したものである。
 それを仏像にしたのが、阿弥陀如来座像である。南無阿弥陀仏を文字で表した仏様である。
 仏は人々を悩みから救い、苦しみ、悲しみのどん底にいる人の為には希望が持て、病に苦しむ人を和らげ心の支えとなっている。
 ここから読み取れることを確認する。
 この熊野神社を鎮祭したのは、当地居住の上杉景勝の家臣青木・吉原・長井の3氏で、元和年間(1615~1618)とのことである。
 したがって、その一は、この阿弥陀如来座像及び庵は、ここに熊野神社が鎮祭された後に建立されたという経緯という事が分かる。
 もう一つが、この神社境内に鎮座する阿弥陀如来座像を建立したのは、地域の方数十名の名も無き方であるということのようだ。
 更には、恐らく、「仏」について解説された方も、この地域の方々であろうと想像できるということだ。

 このことを整理すると、気になるのはプロの仏教者が建立したのではないらしいということだ。ごく普通に日常生活を送る人々が、心を込めて建立した石仏であるということだ。
 この仏像を建立された方々が組織されている「仏名会」なる会が、現在も存続しているものかどうかは分からない。しかし、この解説には、少なくともその会の精神は受け継いでいきたいものだという心持が感じられる。
 そこに、浮かび上がるのは、生々しく祈る心を受け継ぐ息遣いだ。その感化力の発現が、ここに固有名詞で語られる黒沢信海和尚という方らしい。
 この方がどういう方かは知らないが、その方の感化力で、この阿弥陀如来座像が建立され、祈る心が息づいているということが想像されるということだ。
by shingen1948 | 2012-05-15 05:46 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)