地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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ドラマの時代と地域と現実の世界を結ぶ「方丈記」②

 鴨長明の「方丈記」を読んでみたのは、今回の震災とのかかわりだった。方丈記にも、大地震の描写があるという情報の確認だ。
 手近にあったのは、日本古典文学大系「方丈記 徒然草(西尾實校注)」【岩波書店】という堅い書物。抵抗はあったが、読んでみると、結構イメージを伴って読めたような気がした。

 これが、現在放映中の大河ドラマ「平清盛」に近いと意識したのは、読んだ後のこと。
 描写される大地震は、元歴2年(1185)7月9日の出来事で、その時、長明は33歳で、この年をドラマとのかかわりでみると、壇ノ浦の戦いで平家滅亡の年ということだ。
 これが、地元の散歩とも結びつく。
 この4年後の1189年には、信夫の里もかかわる奥州合戦により奥州藤原氏滅亡している。

 現実の世界では、今度は竜巻で多くの被害が発生している。
 この「竜巻」、方丈記では、天変地異のひとつ「つむじかぜ」として、描写されている。
 治承4年(1180)の4月頃、中御門京極のあたりから、大きなつむじ風が起きて、六条当たりまで吹き付けたという。その範囲は、京都の御所の南辺りから、六条の辺りとのことだ。
 約2㎞というこの範囲がつむじ風の大きさと相関があると仮定すると、美里町沼田地区の竜巻と同程度の強さとの推定になる。
 今回のその被害部分を河北新報(2012/5/8/)で確認すると、「ブドウ栽培のビニールハウス22棟のビニールが飛ばされた。」「会津若松署によると、同地区では住宅3軒のトタン屋根がめくれ、1軒で窓ガラスが割れる被害も出た。」とのこと。

 方丈記に描かれるその被害は、大きな家も小さな家も一つとして壊れなかったものはなかったという。平に潰れたものもあるとか、家の中の家財道具はことごとく空に吹き上げられ、葺き板は木の葉が風に乱れ飛ぶようだったとも。そして、門を吹き飛ばしたものは4、5町も離れた場所に落ちたという様は、むしろ、関東北部の竜巻報道に近いようにも思える。
 読売新聞(2012/5/11)で報道される竜巻の様子。
 時速60キロだった竜巻…原因は発達した積乱雲
 今月6日に関東北部を襲った竜巻について、気象庁は11日、茨城県つくば市付近で「スーパーセル」と呼ばれる巨大な積乱雲を確認し、三つの竜巻がほぼ同時に発生して一つは時速60キロで進んだなどとする解析結果を発表した。
 レーダー観測などに基づく発表によると、三つの竜巻は6日午後0時30〜40分頃に発生。このうち茨城県常総市で発生した竜巻は北東へ時速約60キロで進み、18分後、つくば市で消えた。これまで幅500m長さ約15キロとしていた被害範囲については約17キロに修正した。スーパーセルに伴う竜巻の速度としては平均的という。
 栃木県真岡市で発生した竜巻は、茨城県常陸大宮市までの約31キロを横断。移動距離としては、1978年2月に川崎市で発生し、千葉県鎌ヶ谷市までの約42キロを移動した竜巻に次ぐ長さだった。
 
 こちらの被害は、茨城や栃木で1000棟以上が損壊、死者1名、けが人51人という報道も。

 方丈記に描かれるつむじ風が起きたのは、治承4年(1180)長明が28歳の時。これを年表で大河ドラマとのかかわりで確認すると、以下のような時代。
 清盛63歳、以仁王の挙兵は未然に防ぐが、各地で、反平氏勢力が挙兵し、治承・寿永の乱が始まるあたりのようだ。この年、清盛は京から福原への遷都を強行するが、6ケ月で遷都している。
 そして、次の年、清盛63歳で、熱病に倒れ死去する。後白河法皇の院政が再開する。

 現実とドラマの時代、方丈記に描かれる世界がオーバーラップしてくるような気がする。
 方丈記は、これ等を無常観につなぐ。
by shingen1948 | 2012-05-14 05:20 | ☆ 映画話題と視聴記録 | Comments(0)