地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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続・旧道諸説を歩いてみる⑩

 奥州合戦石那坂防御ラインにかかわる諸説を確認してきたが、戻ってきて気になっているのが、金谷川の「柏山」の位置。
 奥大道とされる道筋は小林氏と同じでも、奥州合戦石那坂防御ラインは、石那坂の地名にこだわった別説もある。こちらを確認しながら気になりだした。
 先に整理した福大の案内板で、「柏山」は羽山の南の福大附属図書館あたりの高まりを解説されていた。この説明では、張付け地蔵への道筋を古道とし、その村境にこの地蔵が立っていて、その西側の高まりが「柏山」というようなイメージだった。
 ちらりと見た別説は、図では羽山の北の高まりから防御ラインと解説しながら、本文では「柏山」からと解説されていて、イメージが混乱してしまった。
 奥大道説を違えているのか、「柏山」の位置を読み違えているのかは、今のところ分からない。
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 奥大道諸説を意識して歩いていて、新幹線の道筋が目印になりそうだということに気づいた。それで、高まりに出ると、新幹線の道筋を眺めることが多くなったのだが、伊達付近の散歩で気づいたのが、そちらの方向に信夫山があって、その先が見えないということ。
 それで、信夫山付近を散策した時に、新幹線のトンネルの上から石那坂方面を眺めてみたもの。
 春霞のせいで、はっきり見えなかったのが残念だったが、それでも信夫の里の玄関口を確かめたという気分にはなれる。
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 あれっと思ったのが、新幹線の道筋は緩やかなカーブを描いていること。
 どうでもいいか。

 信夫山に関わったついでに、西行と信夫の里にかかわる別情報を見つけたことを加えておく。
 「陸奥の 信夫の里に 道はあれど 恋てふ山の 高根しるしも」というのも、西行の作で、最初の信夫の里に「やすらひ」たこととかかわる歌ではないかというものだ。 
 山は、当然信夫山で、この山も歌枕の山ということになるのかなとは思うのだが、正直にいえば、陳腐な言葉遊びにしか見えていない。文学に疎いせいで、そのよさがよくわからないということなのだとは思う。
by shingen1948 | 2012-05-02 05:20 | ◎ 奥州侵略の路 | Comments(0)