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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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続・旧道諸説を歩いてみる⑨

 最近になって、若い役者さんの顔の区別がつかなくなっている事には気づいていた。それでも不自由な事が無かったので、特に気にもならなかった。
 ところが、大河ドラマ「平清盛」に登場する人物の関係が複雑だ。役者さんによる識別も、楽しく視聴する方策の一つかもしれないと思いはじめた。現在、家人に聞きながら勉強中。
 義経の母となる常盤役の武井咲さんが「家族に乾杯」に出演していた。何とか顔を覚えたような気になったのだが、まだコマーシャルの顔とは一致していない。

 ウェーブを検索していたら、奥州の旅は、西行だから出来た事とする想像に出会う。近隣の奥大道とされる旧道諸説を歩いてみただけだが、納得する経験になっていることに気づく。
 道筋は、ある程度の旅に沿った条件は整えられていたとは思うが、それでも厳しい条件であったはずだということ。体力と共に、賊に合うということも想定した武力のようなものや、宿泊地の確保に必要な情報収集力も必要だったのではという。
 しかし、これらの力を持ち合わせる要件が揃っていたから、「西行の旅」は成立したのだという。

 体力・武力は、北面の武士であったということで、直ぐにわかる。納得は、情報収集力にかかわる条件の方だ。
 その一つが、藤原秀郷を祖とするということのようだ。
 東国に勢力基盤を持つ藤原氏と佐藤家とが縁続きであることで、行く先々での口利きや案内が期待でき、ゆかりの地の便宜も図ってもらったのではないかとの想像ができるということ。

 もう一つ、北面の武士だったことが、情報収集力の側面からも活きていたのではないかという。
 それは、中央の情報に長けているという事だ。中央の院の状況に関する情報は、地方の豪族等が欲しがる情報であって、その情報を手土産にして、もてなされたことも想像に難くないとか。

 更に加えて、僧侶という側面が。
 最悪の場合でも、寺に駆け込めば、泊まりと食事は保障されるというようなことではなかったかという。

 辻邦生氏「西行花伝」の部分読みからもイメージのヒントを貰おうとしたら、こちらは失敗。無駄骨だった。
 こちらは、出発が春、白河の関が秋ということで、最初の旅のようなのだが、白河から名取まで合戦を想定した地形を想像するということで、奥州合戦4年前の2度目の旅になっているように見える。しかも、地形を想像するといいながら、白河から名取までとんでしまっている。
 国見を越える阿津賀志山防塁にもふれないのだから、石那坂や信夫の里など眼中にないのは当たり前。
by shingen1948 | 2012-05-01 05:20 | ◎ 奥州侵略の路 | Comments(0)