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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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続・旧道諸説を歩いてみる⑧

 大河ドラマ「平清盛」は、忠盛の死を経て、清盛が「平氏の棟梁」の座につくが、忠盛が残した功績に対し、清盛も時子もその器に不安を感じ始めるという不安な船出というなる展開。
 信夫の里を散歩する者としては、ドラマの展開の中心ではないが、源義朝が側室となった義経の母となる常盤を紹介するあたりに意識のスポットを当ててしまう。
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 散歩の方は、小林氏の奥州合戦石那坂防御ラインから、奥大道とされる道筋を想像しながら駐輪場にママチャリを置いた金谷川駅まで戻る。
 この道筋は、奥州合戦の石那坂の戦いにかかわる資料をもとに歩いてみているが、大河ドラマ「平清盛」視聴とからめてみれば、西行の歩いた道筋にかかわるということでもある。

 西行は奥大道とされる道筋を通る。それを追う江戸時代の芭蕉一行は、この東側の奥州街道の道筋を通る。そのまた芭蕉を追う明治時代の正岡子規は、二本松から汽車に乗り、東北本線の道筋を通って、信夫の里に入ったということだ。
 「奥の細道を歩く」の著者が、奥州街道の道筋から外れて、奥州合戦の石那坂の戦いの地を探そうとしたのは、そういうことをイメージしたということなのだろうと想像する。

 今回の散歩と資料の関係を整理しておく。
 小林氏が紀行された地元誌に寄稿された説をもとに、奥大道と奥州合戦石那坂防御ラインを歩いてみたが、奥州合戦石那坂防御ラインの主流ではない。ただ、「平泉藤原氏と南奥武士団の成立(入間田宣夫)」<歴史春秋社>は、こちらの小林氏の説に合理性があるとみているようだということはある。
 大河ドラマ「平清盛」視聴とかかわって、西行陸奥の旅の途中で信夫の里に「やすらひて」いることについて「南奥(ふくしま)の古代通史(鈴木啓著)」を参考にした。「山家集」をもとにした大鳥城逗留の想像を膨らませている。(大河ドラマ「平清盛」視聴⑨~西行に視点をあてて地域の散策とつなぐ⑤)
 その西暦1140年代の信夫の里の佐藤氏の系図について鈴木氏が参考にするのが「平泉藤原氏と南奥武士団の成立(入間田宣夫)」<歴史春秋社>。
 それで、「しのぶと申すわたり、あらぬ世のことにおぼえてあはれなり。」の「あらぬ世のこと」を、「平泉藤原氏と南奥武士団の成立」でいう佐藤氏の出現にかかわる平泉藤原氏を巻き込む「大庄司李春」と国司とのトラブルをイメージしたように見える。(大河ドラマ「平清盛」視聴⑧~西行に視点をあてて地域の散策とつなぐ④)
 鈴木氏が、この奥州合戦石那坂防御ラインをどう見ているかは分からない。
Commented by としぼー at 2012-04-30 21:48 x
了解いただきありがとうございました。今日、金谷川を平田から入りまして石那坂の碑から金谷川に、ひとまず行ってきました。④の地図の奥大道の南側のあたりの前腰と言うあたりに古い良い屋並がありまして、子安観音堂がありました。帰宅して④の地図を見せていただきながら、あのあたりは古いだろうなあと思っているところです。並木山祇神社は明治期に建立されたようで、区画整理で上に上げられたようです。もっと下にあったようです。これも④の道筋を髣髴といたしました。区画整理前は、多少は残る部分があったかなあと思った次第です。おかげで楽しい一日を過ごさせていただきました。
Commented by shingen1948 at 2012-05-02 05:33
奥大道を意識した効用は、奥州街道筋・旧米沢街道筋という視点をフラットにしてくれることだと思います。
諸説を肴に散歩を楽しめたらいいですね。
実は、金谷川辺りでは、旧米沢街道筋の廃道になってしまった道筋付近に迷い込んだことがありました。
お勧めはできませんが、そんなところにも人の営みの歴史を感じたりしたという経験も、自分の中では結構楽しかったこととして残っています。
別説に出会ったときに、その経験が生きたりもします。
今度機会をみつけて、松川宿あたりから、旧米沢街道筋や奥州街道筋にこだわらない道筋を探ってみようかなと思っています。
気づいたこと等、また教えてください。 
by shingen1948 | 2012-04-30 05:52 | ◎ 奥州侵略の路 | Comments(2)