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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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続・旧道諸説を歩いてみる⑤

 「毎日新聞」日曜版に、「日和下駄とスニーカー(大竹昭子)」という東京散歩コラムがある。街自体に興味がないので、流し読みするのだが、4/22日は「糊しろの町」という言葉にひかれて立ち止まった。
 その概念は、特徴のある街並みと別の街並みの間には、どちらにも属さない中立の町ともよべるエリアがあるとし、それを「糊しろの町」と名付けたらしい。
 その概念をお借りして微妙に調整すれば、この庄司方防衛線を探る散歩で感じている事が、「糊しろの地域」ということでぴったりする。

 「日和下駄とスニーカー(大竹昭子)」では、その「糊しろの町」にみられる特徴は、特徴が無いことだとし、このランドマークとなるものがなくなると、どこにいるのか分からなくなるとする。
 それは、「わたしたちの抱く街のイメージは、限られたエリア内の作られたイメージに依っており、その目印がなくなるととりつく島を失って位置関係が崩れてしまう。それは物理的な位置というより意識の方向性のようなものだ。」という。
 この「街のイメージ」という言葉を風景と置き換えると、最近の散歩は、その作られたイメージに隠れたイメージを見つけて楽しんでいるような気がしている。

 その信夫の里に入る「糊しろの地域」に、小林氏が描く庄司方防衛線をイメージして風景を眺めるのだが、意識していなかったが、西側から確かめようとするのは、ここにランドマークをたててみるということなのかもしれない。
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 まずは、現在は高速道路のトンネルで穴が開けられた愛宕山あたりの風景。
 前回整理の防衛線東側に写る八幡神社に、「基盤整備記念碑」が建つ。この碑は、昭和49年5月に建てられたようだ。
 今まではこの碑文には注目しなかったが、今回目がいったのは、この高速道路のトンネル工事とのかかわりが記されていたからだ。
 基盤整備記念 福島県知事 木村守江 題字
 東北自動車道の当地区確定路線発表は昭和43年8月29日である。
 地域住民は事の重大なるに鑑み直ちに是が対策を協議した。再三に渉る協議の結果愛宕山トンネル貫通による用水不足と道路農地を分断する障害及び家屋移転等の問題であった。地域を挙げての対策協議会は是等の問題解決の為終始交渉に当たった当局は是等条件について慎重調査の上採択と決し左記事業を施工する事が出来たのである。
 滋に日本道路公団及び県市当局の誠意に感謝し地域関係者と土地改良区の建設に対する努力を誌し永く伝えるものである。
 以下、事業内訳として、この谷地の整備事業、関谷沼、昭和沼改修事業、用水路改修事業、木金水揚水施設事業等が記される。
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 「基盤整備記念碑」からは、このトンネルが貫通する山が愛宕山であり、この谷地の現在の風景に改変されたのは、昭和43年~昭和49年にかけてだったことが分かる。高速道路開通と基盤整備が同時期だったという事が、計画の重なりなのか一環の計画なのかは分からない。

 次のこの風景に写るトンネル脇の施設は、「木金水揚水施設事業」とみてよいのだろうか。この山の右手、次の高まりとの間に、旧米沢街道の道筋が走る。
by shingen1948 | 2012-04-25 05:31 | ◎ 奥州侵略の路 | Comments(0)