地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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大河ドラマ「平清盛」視聴⑩~西行に視点をあてて地域の散策とつなぐ⑥

 西行の大鳥城逗留は、郷土史ではありがちな不明な場合の強引な我田引水とばかりは言い切れないところがある。

 図説「福島市史」でも、佐藤系図を紹介し、次のような説明をする。
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 (佐藤氏の)親族の西行法師(俗名佐藤憲清)が、二度陸奥の大旅行を敢行して、信夫の里にやすらいを求めた頃、庄司一族は、飯坂を中心に医王寺・天王寺・飯坂寺・西原廃寺など壮麗な寺社を有し、小平泉の観を呈していたという。

 鈴木氏のように、大鳥城逗留に言及こそしていないが、読み手が、逗留をイメージしたとしてもおかしくはないというような記載で、その想像を許容しているように見える。
 この佐藤氏の系図の中の継信・忠信兄弟が、平泉の秀衡に命じられて、義経に従ったということは、散歩人でも知っている。「吾妻鏡」にも、佐藤三郎兵衛尉継信・同四郎兵衛尉忠信が義経に従っていたとある。
 元治は、その父で、阿津賀志山合戦関連では、信夫佐藤庄司、是継信・忠信父也とあるらしい。

 肝心の信夫の里では歴史に佐藤氏が登場に相当するあたりがよく分からなかったったが、それが、師治ということのようだ。
 西暦1140年代で、平泉藤原氏は2代基衡の頃とか。
 よく分からないのは、「大庄司李春」ではないからだが、普通は師治は李春の誤記とするらしい。それを「平泉藤原氏と南奥武士団の成立」では、李春は基衡の身代わりとして斬首され、子息舎弟ら5人も斬首されていることから、かろうじて生き残った従兄弟などにあたるのではないかとする。
 その推測を「南奥(ふくしま)の古代通史(鈴木啓著)」が、ありうることとした上で、その大鳥城に、西行が「やすらひ」たと想像したということのようだ。

 図説「福島市史」資料では、師治の上が〇になっているが、そこに師信(佐藤軍監)が入り、師治(押領使)につながるのだが、誤記ならここが連なるということになり、従兄弟なら別系統に属するということの違いかな。
 西行の2度目の奥州旅行は、奥州合戦数年前ということなので、立ち寄れば、馴染みの元治と忠信・継信の時代という事になるのだろうか。

 なお、「福島市史」に紹介される寺だが、医王寺・天王寺、及び西原廃寺については、先に整理したところだが、飯坂寺とやらは分かっていない。
by shingen1948 | 2012-04-19 05:55 | ☆ 映画話題と視聴記録 | Comments(0)