人気ブログランキング |

地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

大河ドラマ「平清盛」視聴⑨~西行に視点をあてて地域の散策とつなぐ⑤

 ネット等で確認すると、西行の最初の奥州行脚の諸説は、康治2年頃(1143)<26歳>・天養・久安頃(1144・5)<27・8歳>久安3年以前(1147)<30歳>あたりらしい。
 アバウトさの範囲は、康治2年(1143)<26歳>から久安3年以前(1147)<30歳>あたり。旅立ちの季節は春頃で、白河の関が秋頃というのが、そのイメージらしい。

 鈴木氏が、大鳥城逗留をイメージする信夫の里に「やすらひて」いた時代は、西暦1140年代なら、平泉藤原氏は2代基衡の頃で、信夫の里では歴史に佐藤氏が登場する頃。
 信夫の郡司として現地を取り仕切っていた「大庄司李春」が、陸奥守藤原師綱の差し向けた軍勢を迎え撃って、散々に打ち破ったという事件が発生したということが、「古事談」「十訓抄」によって語り伝えられているとか。その頃だ。

 詳しくないので、「山家集」を地名の歌分類された資料から、「しのぶ」の言葉が入った歌を確認する。
 ① あづまへまかりけるに、しのぶの奧にはべりける社の紅葉をときはなる松の緑も神さびて紅葉ぞ秋はあけの玉垣
 ※ この「しのぶの奧にはべりける社」は、一般的には、信夫山の羽黒神社を想像するらしい。何故、黒沼神社ではないのかは分からない。
 ② 東路やしのぶの里にやすらひてなこその関をこえぞわづらふ
 ※ 鈴木氏は、こちらの歌を考察し、大鳥城逗留をイメージしたらしい。

 別地を詠うが、地名としての登場もあるようだ。
 ① さきにいりて、しのぶと申すわたり、あらぬ世のことにおぼえてあはれなり。都出でし日数思ひつづくれば、霞とともにと侍ることのあとたどるまで来にける、心ひとつに思ひ知られてよみける
  都出でてあふ坂越えし折までは心かすめし白川の関
 ※ 鈴木氏がこだわったのは、この「あらぬ世のことにおぼえてあはれなり」らしい。
 ② ふりたるたな橋を、紅葉のうづみたりける、渡りにくくてやすらはれて、人に尋ねければ、おもはくの橋と申すはこれなりと申しけるを聞きてふままうき紅葉の錦散りしきて人も通はぬおもはくの橋
  しのぶの里より奧に、二日ばかり入りてある橋なり
 ※ この「おもはくの橋」は、一般的には、名取川にかかる橋と推定されるものということらしい。「奥の細道」の橋とは位置的に違うとか。

 清盛と出会うというドラマの設定は、この旅から戻って西行が高野山に庵を結ぶあたりらしい。
 西行は、その後、毎年吉野山で花見を行い、また修行を兼ねて天王寺、熊野、厳島等の寺社に参詣し、大峯で修行したとも伝えられるとか。
by shingen1948 | 2012-04-18 05:20 | ☆ 映画話題と視聴記録 | Comments(0)