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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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大河ドラマ「平清盛」視聴⑤~西行に視点をあてて地域の散策とつなぐ

 このドラマ、直接的には関西が舞台だが、自分のフィールドに引き寄せて親しみを増させるということでいえば、西行だろうか。
 この地の散策のフィールドと西行を結びつけるのは、芭蕉の「奥の細道」つながり。
 西行が歩いた奥州への旅、歌枕をなぞる旅をしたというのが「奥の細道」だとか。奥の細道の紀行は、西行の亡くなった年(1190年)から数えて「500忌」にあたる年に、西行が平泉へ向かったと同じ行程を歩いたということらしい。
 ただ、西行そのものを知っているということではない。知っているのは、せいぜい歌人であること、代々朝廷につかえていた武家の出であること、そして、何らかの都合で出家したらしい事ぐらいだ。
 大河ドラマの中で描かれる佐藤義清像からその人物像を知ろうという見方だ。

 父の後を継いで18歳で皇室の警護兵の官職を得ていたこと、鳥羽上皇の「北面の武士」に任命されていたこと。武芸が得意な上に、和歌を能くする教養人として知られたこと。
これを容姿端麗な役者が演じる。
 なるほどそういう人物だったかと納得していた所だった。

 違和感を持ったのは、第10話「義清散る」で描く義清像だ。(また、「坂の上のサイドボード」のページをお借りする。)
 我々は出家したしたという事は知っているので、注目は、容姿端麗で、武芸に優れ教養と文芸に秀でた23歳の若者が、何故官職を捨て出家しなければならなかったのかということだろうか。
 願望としては、人生の無常を悟ったとか、政争に嫌気がさしたとか、文芸に没頭したかったというようであってほしいという思い入れがあるのは、地域の散策と「奥の細道」つながりだからだ。
 「奥の細道」を確認しながら近くを散策すると、皆が言うのとは違って、芭蕉の旅の意識それ自体や、その後の広報活動など俗っぽい感じはするのだが、追われた西行まで俗っぽくあってほしくないという願望のようなものが、……。

 しかし、ドラマは、冷酷にも義清の出家理由を横恋慕の結果の失恋として描く。

 なお、西行と地元の散策のフィールドとの係わる情報として、西行の実家と平泉とは遠い姻戚関係だというのもある。
 西行は、義経の死を悼んで奥州への行脚に向かったとか、更には、西行の出家後、鞍馬にもいたということから、義経の鞍馬寺とのつながりも想像できる等々……。
 いずれも、その情報源は確認していない。
by shingen1948 | 2012-04-14 05:28 | ☆ 映画話題と視聴記録 | Comments(0)