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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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大河ドラマ「平清盛」視聴③~地元の散歩とかかわらせて

 ここ信夫の里は、華々しい歴史の史跡という視点では影が薄い。しかし、地元を散歩していると、時代の変換には結構重要な役割を担っている事が多いようにも思っている。
 大河ドラマ「平清盛」が、華々しさよりも平安末期の公家社会から武家社会への過渡期の時代が変換していく様子を丁寧に描こうとして起きていることと似ているような気がしている。丁寧に描こうとすればするほど、王家、藤原摂関の権力闘争が絡んで、馴染みの薄い登場人物が、交錯しておどおどしく、複雑で分かりにくくなっていく。その結果として、評判を落として、見放されていっているように見える。

 ここ信夫の里のよさも、華々しい歴史ではなく地味なのだが、本当は時代の変換に結構重要な役割を果たしているということではないかと思っている。それは分かっているのだが、いざ確認しようとすると、単なる散歩人には、不確かな要素が多く、得る情報も諸説あって分かりづらいという状況になる。

 似たような状況つながりということで、地元の散歩とのかかわりを意識して、とりあえずドラマ展開の年代と地元にかかわる年代付近を比べてみる。「坂の上のサイドボード」のページをお借りする。
 高階基章の娘と死別して、平時子と再婚したというドラマの第12話「宿命の再会」が、保延5年(1138)<※1138説も>清盛20歳前後とか28歳前後とか。そして、第13話「祇園乱闘事件」の話が、久安3年(1147年)のようだ。約10年後だから、清盛は30歳か38歳。ドラマの第14話「家盛決起」は同じ年から翌年にかけての出来事。
 家盛が、常陸介に任官するのが、同年の11月、その直後には賀茂臨時祭で舞人を務め、さらに翌年正月には従四位下右馬頭に任じられたとのこと。
 その平氏の後継者の地位を脅かす家盛が、鳥羽法皇の熊野詣に供奉した帰路に病に倒れ、京に近い宇治川の辺りで帰らぬ人となるのが、久安5年(1149年)3月とのことだ。

 この頃の信夫の里の出来事について「平泉藤原氏と南奥武士団の成立」が、佐藤氏の出現を上げる。
 この佐藤氏の姿が見えてくるのが、西暦では1140年代とのことだ。平泉藤原氏2代基衡の時代で、佐藤氏の登場を次のように紹介される。
 信夫の郡司として現地を取り仕切っていた「大庄司李春」が、陸奥守藤原師綱の差し向けた軍勢を迎え撃って、散々に打ち破ったという事件が発生したということが、「古事談」「十訓抄」によって語り伝えられている。
 ここで、「大庄司」とあるのは後年の観念に基づく表現で、当時は「信夫の郡司」で、国司の軍勢を迎え撃ったということのことだ。その背景は、国司の側が先例のない検地(検注)を強行しようとしたためとのことだ。

 「平泉藤原氏と南奥武士団の成立」では、この事件とかかわって平泉藤原氏との関係の深さを読み解くようだ。
 この地は、その平泉藤原氏と源氏との対立に直接かかわる。
 意識していた訳でもないが、最近の散歩で、旧道諸説を歩いたり、北五老内遺跡、御山千軒遺跡を整理したりしているのは、古い時代にこだわっているのではないように思う。   
 意識のどこかで、この地の大河ドラマの時代、そして、日本が武家社会へ変換するその過渡期とこの信夫の里とのかかわりが見える散歩でありたいという思いがあるような気がしてきている。
by shingen1948 | 2012-04-12 05:20 | ☆ 映画話題と視聴記録 | Comments(0)