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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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旧道諸説を歩いてみる③

 昨日「新幹線の側道に建つ村の神社のイメージ」とした施設は、半沢氏のメモによれば、「下石地蔵堂」ということらしい。また、その西側に建つ石碑は、明治9年から22年に、平石の5つの沼の改修に尽力した佐藤伴右衛門の功徳碑らしい。
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 小林氏は石那坂の戦いにかかわった寄稿では、新幹線側道からトンネルの上部へ続く旧道が奥大道とするようだ。
 黒沼神社物語か地元研究会誌等から旧道の道筋にかかわりのある部分を抜き書きしたメモでいえば、「曲がらずに、字吉次下―町畑―の旧道あたりが、片原(石那坂)千軒とも」とあるあたりが、それに相当するのだろうか。
 その道筋を、北側から確認できるところまで進んでみた。
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 上り始めると、左手に沼が見える。これが、明治9年から22年にかけて改修されたという平石の5つの沼にかかわるものなのかどうかはわからない。少なくとも、その位置と高低から平石の耕地にかかわる大切な沼だろうとは思われる。
 「ふくしまの歴史」の「吉次伝説」の項に、炭焼き藤田と吉次のかかわりが解説され、その吉次の石宮がこの山頂にあると紹介される。
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 これは、旧道が一度右に回り込んで、左に回り込み始めるころの辺りだが、既に笹藪の季節だ。清水宿の出雲大神とのかかわりで気にはなるのだが、今回はその確認はしない。その気になる事を記してだけおく。

 清水宿の出雲大神宮案内由緒によれば、その神社は、その炭焼き藤田と吉次の氏神とかかわり、その出雲大神が移されてきたとすることで、その出雲大神宮案内由緒の解説とのかかわりで気にはなる。
 出雲大神は、炭焼き藤田の家の氏神として祀られたとし、その炭焼き藤田と金売り吉次伝説とを関連させて解説する。その炭焼き藤田の家の位置だが、「長者屋敷と呼ばれ村人とともに栄えたが、鎌倉幕府による奥州合戦・石名坂の戦いで消失」とある。更に、平石の長者屋敷は、平石小学校の東側とのこと。

 小林氏が描く東山道の道筋とのかかわりでいえば、その道筋から西側に下った地点であり、東山道の諸説の一つ「石那坂の吉次宮手前から山発田に降りる説」を思い浮かべる地点でもある。
 更には、大日本地名辞典に「昔のもの片原の宿」があるとする山発田ともかかわるかとも。
by shingen1948 | 2012-04-05 05:32 | ◎ 奥州侵略の路 | Comments(0)