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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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旧道諸説を歩いてみる

 小林氏は、中世の旧道を福島盆地に入って暫くは新幹線沿いに近い道筋との想定をしているように見える。
 それよりも西側に想定されている資料も見る。

 吾妻歴史講座資料「米沢街道を歩く(吾妻郷土史談会阿部美作氏)」は、「中世の旧道は平石を通る」として、その道筋を「関谷―石那坂―永井川―児子塚(太平寺)」としているようだ。
 旧道は、米沢街道と奥州街道の間とはしているが、永井川から太平寺の児子塚へ向かう道筋という具体的な道筋の表現からは、新幹線の道筋よりは、西側に設定しているらしいように読める。
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 伝説にかかわる整理はしなかったが、この児子塚(太平寺)あたりで、目につくのが稚児塚。位置的には、南福島駅の北東にあたる。とりあえず、散歩の目印として……。

 ここに、稚児塚という案内板が建つ。
 鎌倉・江ノ島の稚児ヶ淵伝説の稚児白菊丸の故郷はこの付近で、その遺髪の塚だと解説する。
a0087378_11101868.jpg
 確認すると、稚児ヶ淵伝説とは微妙な違いが、……。
 こちらは、鎌倉建長寺の僧自休が岩本院の稚児白菊を恋し、白菊は窮して身をこの深淵に投じるとのことだ。どちらかというと心中に近いお話。
 稚児塚の方は、自分を救ってくれた自休を慕って建長寺に訪ねたが、自休は亡くなったという虚言を真に受けて、「稚児ヶ淵」に身を投げるらしい。
 この身を投げる時に歌を残すのはどちらも同じ。
 白菊が投身に先立って渡し守に託した扇面に、
 「白菊の しのぶの里の人 問はば 思い入江の 島とこたえよ/うきことを思い入江の島かげに すつる命は波の下草」と詠む。
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 稚児塚伝説では、慈休が、白菊を手厚くとむらい、故郷の寺では届けられた遺髪を埋めて稚児塚としたとする。
 稚児ヶ淵伝説では、白菊の死を知った自休和尚も、「白菊の花の情けの深き海に共に入り江の島ぞ嬉しき」と辞世を残してあとを追ったとする。

 確認していくと、自分は知らないが歌舞伎「桜姫東文章」(江ノ島・稚児ケ淵の場)という有名な話があって、その話と重なるらしい。
 ※ 稚児ヶ淵伝説の自休和尚と稚児塚伝説の慈休和尚は、その読みは同じ。
by shingen1948 | 2012-04-03 11:15 | ◎ 奥州侵略の路 | Comments(0)