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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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湧水の里の風景⑩~明治天皇御休憩所の続き

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 この石碑と出会ったのは、湧水の里の風景を散策する中での出来事ではない。今年の3月になって、国道13号線を何の目的も無く歩いていて、偶然見つけたものだ。
 出あった方に訊ねると、明治天皇のお休み処だとか。万世大路の散策とのかねあいで訪ねる方が多いとのこと。
 分かっていて立ち寄ったのではなく、ここで先に瀧清水とのかかわりで整理した明治天皇御休憩所となった大笹生村菅野六郎兵衛宅の前の小休憩された処ということでつながったということ。
 「栗子峠にみる道づくの歴史」に紹介された明治天皇の行程を再掲する。
 明治天皇は、明治14年7月から東北、北海道までのご巡幸の後、10月3日に栗子山隧道を通られることになって、三島山形県令は、この日に合わせて竣工式を挙行したとのこと。
 明治天皇は、米沢側からこの竣工式に御出席なされ、12時に板籠に召されて御出発されたという。隧道を抜けて福島県側に入り、二つ小屋隧道福島口にあった県土木出張所で御休息され、中野村大滝の渡辺要七宅、円部の渡辺勇吉宅、大笹生村菅野六郎兵衛宅に小休憩され、午後7時に福島医学校着同所にお泊りになり、翌4日午前七時に御出発し、皇居には11日着とある。
 供奉員は、二品能久親王、太政官左大臣熾仁親王、参議大隈重信他1名、内閣、内務・大蔵省、近衛局、近衛諸隊、宮内省外侍医等以上325名、馬300余頭の行列だったとか。

 最初の文字が欠けているが、家に戻って「「山さ行がねが」のページで、元々は「鳳駕駐蹕之蹟(ほうがちゅうひつのせき)」であったということを知る。
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 側面は、日付は明瞭だが、その後が読みづらかったが、「明治十四年十月三日 御通輦」と刻まれているとのことだ。


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 左側面は、建立月日かな?

 二つ小屋隧道福島側坑口の前も同じ石碑とか。大滝の渡辺要七宅前にも石碑があるようなので、この石碑が無いのは大笹生村菅野六郎兵衛宅だけらしい。


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 出会った方の旧道は切れているから行かないようにとの忠告に従って、国道13号線に戻ったが、これがその旧高平隧道につながる旧道の痕跡なのだろうと思う。

 この時の散歩は、何の目的も無かったので、山神橋まで行って引き返したのだが、帰りの道筋を万世大路沿いにした。
by shingen1948 | 2012-04-02 06:13 | ◎ 水 | Comments(0)