人気ブログランキング |

地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30

湧水の里の風景⑥~明治天皇御休憩所

 「明治天皇御休憩所」の案内柱には、以下の解説が記される。
a0087378_4434589.jpg
 明治天皇東北行幸のさい、ご休憩なされた処で、明治6年、同14年の2回にわたり万世大路を米沢より栗子峠を越し遊ばれ、当時大笹生の素封家であった菅野家宅が帝の行在所となった。注明治14年10月3日午後3時30分であった。
 これが、瀧清水碑にある「明治14年、明治天皇東北御巡幸の砌(みぎ)り、御休所にてその水を召され「これは美味なり」と賞賛された」ということにつながるらしい。

 「栗子峠にみる道づくの歴史」に、米沢ー福島間の道づくのかかわりでここが「明治天皇御休憩所」になったことが解説される。
 明治天皇は、明治14年7月から東北・北海道までのご巡幸の後、10月3日に栗子山隧道を通られることになるのだが、三島県令(当時は山形県令)は、この日に合わせて竣工式を挙行したとのことだ。
 明治天皇は、米沢側からこの竣工式に御出席なされ、12時に板籠に召されて御出発されたという。隧道を抜けると福島県側になり、そこからは福島県側の対応となる。
 福島県側に入って、明治天皇一行は、まず二つ小屋隧道福島口にあった県土木出張所で御休息された。その後、中野村大滝の渡辺要七宅、円部の渡辺勇吉宅、大笹生村菅野六郎兵衛宅に小休憩され、午後7時に福島医学校着。そこにお泊りになって、翌4日午前七時に御出発して、皇居には11日着とのこと。
 「これは美味なり」と賞賛されたのは、その時の事だと思われる。
 この時の供奉員は、二品能久親王、太政官左大臣熾仁親王、参議大隈重信他1名、内閣、内務・大蔵省、近衛局、近衛諸隊、宮内省外侍医等以上325名、馬300余頭の行列だったとか。
 当然、迎える側の福島県側の行政官の対応もあるわけで、村総出でのお出迎えであったろう事が想像される。

 なお、今のところ、お泊りになられたという福島医学校の情報については曖昧なところが多い。
 福島医学校が福島に開設されるのはこの年の明治14年(1881)で、それ以前は須賀川町の福島県病院内に置かれた医学所のはずだ。
 恐らく新築なった公的な施設にお泊りになられたと想像するが不確かで、その場所情報も持ち合わせない。
※ 今のところ、案内柱にある明治6年の栗子峠越えについての情報は確認していない。また、万世大路の名称は、この道筋を簡単に解説するには便利だが、命名は後日らしい。
by shingen1948 | 2012-03-29 05:20 | ◎ 水 | Comments(0)