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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン

原発事故災害と探り合い/意識の分断~今から思えば(2012)の6

 「洗濯物をどこに干す」という言葉のやり取りが、放射能汚染に対する意識の探り合いであることを2011年の「今から思えば」に整理した。現在のこの探り合いは、「水をどうしている」という言葉のやりとりだろうか。
 学生時代、活動に縁遠いノンポリにも、感性的にどの派閥に近いかを探られたのを思い出す。こちら側が意図していなくても、探った相手の判断でレッテルが張られ、仲間になれるかどうかの判断に使われたという嫌な体験だ。
 放射能汚染に対する意識には感性的なものがあって、家族間で話し合ってみてもその違いが生じる。その時には、少なくとも自分は、事を荒立てないために、より敏感な方に合わせて、バランスをとっている。
 敏感な方は、正統性が認められたとの思い込みが生じて、どんどん深みに入り込んで行くという可能性も内在する。面倒がらずに、話し合いをしないと意識の分断が生じると言う状況だろうか。
 それでも、この場にとどまる者はまだいい方で、自主避難された方の報道には、深刻な状況も見える。

 「高速道のゴミ箱に捨てられている福島みやげの菓子箱や野菜」の記事は、山梨の避難者へ子どもが外で遊ぶのを自粛するように要請を受けたという事例と共に語られるので、差別意識とのかかわりと捉えたが、避難者家族の分断の姿とも。
 野菜と共に、薄皮まんじゅうやゆべしといった菓子類も捨てられているとのことだ。これは、実家に立ち寄った(戻った)息子が、両親から頂いた土産なのではないかと想像する。家族の中では、より放射能を気にする方の避難を認めるということで家族のバランスを取っている状況のはず。その中で、(避難した)配偶者へ持ち帰ることは、事を荒立てることになるという状況になると言う事なのではないかとの想像だ。

 絆は、その一方ではしがらみでもあり、うっとうしいものでもある。原発事故災害は、元々あった絆が分断されるのは容易い事を顕在化させてみせつける。
by shingen1948 | 2012-03-18 16:20 | ☆ 地域・自治話題 | Comments(0)