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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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奥州街道浜田町付近④

 この浜田町付近を「信達ニ郡村誌」で確認すると、地図上の地域名と違っていて、読み取りにくい。
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 それで、「むら」の施設にかかわる記述と照らし合わせて、その小字名を確かめ、その近隣の小字名を「福島の小字」の腰浜村と照らし合わせて推定していく。
 社の項を確認すると、稲荷神社が「東宿」、明神神社が「西宿」。
 寺の項を確認すると、龍鳳寺が「上宿」、鼻取地蔵堂が「五老内」。
 「福島の小字」の腰浜村の項で、この前後関係の小字名を入れてみた。多少のずれはあるかもしれないが、何となく読み取れそうな事が出てくる。

 まず、「中部五反田村道十字又の側に元標を建てる」とするおおよその位置が確認できる。
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 それに、龍鳳寺に学校が置かれたということ、明神神社が邨社であることなどを合わせると、「むら」の重要な施設は奥州街道の東側に並んでいる事が確認できる。これが、西は曾根田から北は五十辺、小山荒井までの腰浜村の広い範囲の中心をなしている事が想像できる。
 「ふくしまの歴史」では、これ等の範囲の「○宿」とあることを、奥州街道の宿駅と部分的に杉妻城の役割を果たしていた名残ではないかと推定しているようだ。これが、福島城下の整備に伴って改変していったとみるらしい。

 次に気になるのが、半沢氏のフィールドワーク地図に「↑腰浜崖」という記載と、「古松川」、「沼之内」などの地名とのかかわりだ。何となく五十辺や小山荒井との間に湿地帯の存在がイメージされることだ。松川の南流が根拠のない事であるなら、松川と阿武隈川の合流氾濫に関わっての湿地ということだろうか。
by shingen1948 | 2012-03-02 05:20 | ◎ 奥州街道 | Comments(0)