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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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奥州街道浜田町付近②

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 現在の情景としては、市街地の一区画でしかない。しかし、その原風景としては、福島城下から仙台方面の大木戸を過ぎたこの辺りの街道筋は田園風景が広がり、その左手にこの観音堂があったということだろうか。その頃、その手前の五老内地内の長者伝説が語られていたものかどうかは分からない。

 この観音堂脇に案内板が建ち、別当寺という腰浜町の寺と町内会が「鼻取地蔵」の伝説を紹介する。
 鼻取地蔵
 むかしむかし、ある農夫がひとり、汗水を流し、田んぼを耕していたところ、どこからともなく男の子がやってきて、馬の鼻綱を引きながら農夫の手伝いをしてくれた。その甲斐あって仕事が一段落。農夫は男の子にお礼を言おうと辺りを見回してみたが、どこにも男の子の姿が見えない。「あれ、おかしいぞ」と思った農夫は辺りをくまなくさがし回った。しかし、見つけることが出来ないまま、気づけばお地蔵堂にまで来ていた。ふとお地蔵様を見てみると、ずぶ濡れの上に足元は泥だらけ。顔を見るとどことなく先程の男の子に似ているではないか。農夫はこのお地蔵様が男の子になってお手伝いしてくださったのだと悟り、大いに感謝し、その後毎日のように参拝に通ったという。
浜辺村五良内にあったというそのお地蔵様は、その後「鼻取地蔵菩薩」として子どもたちをお守りくださり、苦しみから救ってくださるお地蔵様として皆の信仰を集め、やがて地蔵堂が再建され、貞享2年(1685)龍鳳寺5世超山祖全和尚以来4代に亘って地蔵堂に隠居され、引き続き龍鳳寺の別当として現在に至っています。
(後半略)
 平成21年11月吉日
 腰浜町 龍鳳寺
 五老内町内会
 当時町名は、この辺り、「浜辺村五良内」かな。
by shingen1948 | 2012-02-29 05:20 | ◎ 奥州街道 | Comments(0)