地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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上条古墳群付近~腰浜廃寺とのかかわりで

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 上条古墳群の状況について、「一号墳は、削平により今は二つに分断され、後円では横穴式石室が一部露出している。」とある。
 これが、その露出した横穴式石室だろうか。この石の上に、祠が祀られる。
 この南側にある墳丘が、前方墳にあたる部分なのだろう。

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 また、「当古墳群では、前方後円墳の1号墳以外は墳丘が残っておらず、2号墳と5号墳の石室に使用されたと思われる石材がわずかに散在しているのみである」とする。
気になって撮っていたこれも、それとかかわるようなものなのだろうか。

 腰浜廃寺付近の散歩は、整理し難い。
 それは、その建物自体が特定されないという曖昧さだけではなさそうだ。いろいろな歴史的な状況の要的な要素があって、意味づけの複雑さもある。その可能性の絡み合いの複雑さに曖昧さが加わっていることがある。しかも、これらの絡み合いが、きちんと説明して頂けないということもあるように思う。

 その中の一つの意味づけが、腰浜廃寺は、北五老内町遺跡が信夫郡衛と想定した場合には、郡衛に付属した寺としての位置づけになるという歴史的な役割を担うこと。
 しかし、腰浜廃寺は、多賀城以前から存在するということからは、信夫評造(大領)となった豪族の方の私寺という想定も成り立つということ。
 更には、信夫評造(大領)となった豪族の方と近くの古墳群のかかわりから、2004年の測量調査で、福島盆地最大級の後期古墳と推定される上条一号墳と信夫評造(大領)との関係性というふうな想定が広がっていく。
 特に、伊達郡衛も明らかでない中、桑折町の錦木塚古墳の被葬者が信夫国造だった可能性も想定されていた桑折町の錦木塚古墳を上回ったということが、注目されることのようだ。
 それで、この上条古墳群あたりまで足を延ばしたという経緯だ。

 対抗の錦木塚古墳は、「律令国家とふくしま」によれば、世紀前半頃の切石積みの整美な横穴式石室を有した古墳で、この被葬者が信夫国造だった可能性もあるとされているらしい。
 なお、福島県ホームページでは、伊達郡は所在不明とするが、その候補地としては、そのコホリの名称から桑折町と、国見町徳江廃寺が、その附属寺院の可能性として想像されているらしい。
 また、「ふくしまの歴史」では、上条1号墳の発掘調査はされていないとするが、2004年に福島大学が測量調査した後、2005年、2006年にこの1号墳を発掘調査したらしい。上条古墳群調査としては、福島市教育委員会が3回調査しているとのこと。
by shingen1948 | 2012-02-26 05:20 | ◎ 奥州侵略の路 | Comments(0)