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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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腰浜廃寺と上条古墳群付近

 北五老内町遺跡は、古代信夫郡を治めた郡衙の候補地であり、腰浜廃寺は、信夫評造(大領)の私寺で、7世紀末に信夫郡寺に昇格したということで、この辺りを散歩してきた。

 2001年発行の「律令とふくしま」では、北五老内町遺跡が信夫郡衛で、腰浜遺跡が郡衛に付属した寺ならば、信夫郡衛が、上条古墳群を造営した豪族の近くに営まれる事に視点を当てる。
 上条古墳群の1号墳の被葬者が信夫クニの国造であった可能性を指摘する。ここには、先にも立ち寄ったが、足を延ばしてみる。a0087378_5482647.jpg
 ただ、塚野目古墳4号墳の被葬者の可能性もあるとする。

 もし、上条古墳群の1号墳の被葬者なら、福島盆地の最有力者でない人物をあえて信夫国造に任命したことになり、塚野目古墳4号墳の被葬者なら、信夫のコホリの設定あたって、評督に任ぜられるのは、コホリにおける最有力の豪族ではなかったことになるとしていた。

 この辺りの遺跡は、資料の年代によって表現が微妙に変化する。
 2006年には、以下のような表現に変化する。これは、この遺跡が福島大学の2004年実測で、50m規模の古墳とされ、福島盆地最大級の古墳とされたこととかかわるのかもしれない。
 上条古墳群は、信夫郡衛と考えられる北五老内町遺跡、その附属寺院の腰浜廃寺に最も近い場所に位置し、かつ東北最大級の後期前方後円墳を含むことが明らかになったとし、福島盆地地域間関係、信夫評成立期における各勢力の動向など、古墳時代後期から終末期の社会像を読み解く遺跡として注目される。

 先に立ち寄った時には、単に福島盆地の古墳巡りだったが、今回は、意味づけられた関連遺跡間を歩ってきて立ち寄った。その感慨の違いを味わう。
by shingen1948 | 2012-02-25 05:57 | ◎ 奥州侵略の路 | Comments(0)