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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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腰浜廃寺付近③

 腰浜廃寺について、昭和42年3月発行の「福島のあゆみ」では、以下のように記す。
 福島の腰浜からは、たくさんの布目瓦や、礎石(土台石)・焼き米などが発見されているところから、かなり大きな寺院があったらしく、この菩提寺の記事と、何か関係があるようにも思われます。
 主文では、菩提寺とのかかわり等を意図して、布目瓦の方を紹介する。
 その後半で、二種類の瓦について、以下のように解説する。
 腰浜から出る瓦は、蓮花文系と花文系の二つのグループに分かれています。蓮花文系の瓦は奈良時代の終わり頃、岡島の宮沢の窯で大量に焼かれたものであり、花文系の瓦は、平安時代の初め頃、山口の赤埴の窯をはじめ、渡利の三本木などでも焼かれたようです。

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 「ふくしまの歴史」と照らし合わせると、大規模な発掘調査は、昭和35年(1960)~昭和38年(1963)に行われ、奈良から平安にかけての遺跡と推定したらしい。その成果を「福島のあゆみ」に直ぐに取り入れたということらしい。
 その時の様子の写真が、この神社前の空間であり、ここに「腰浜廃寺跡」の案内柱が建つという事情らしい。

 ただ、ここで腰浜廃寺が菩提寺とかかわるらしいとする推定は、今では、西原廃寺がそれとするらしい。それは、腰浜廃寺は、9世紀前半に廃れること、これの瓦の流れを受け継いだ西原廃寺が建てられるのが9世紀前半ということで、こちらが定額寺となった菩提寺だと考えているようだ。

 今は、この時点の推定よりもっと古いということが、注目されているというとこらしい。
 昭和53年発行の図版「福島の歴史」では、以下のように解説される。
 この瓦は白鳳時代の瓦とされる広島県寺町廃寺や岡山県の大崎廃寺から出土する重圏文縁で水切りをつけた瓦文に酷似していて、8世紀を下らない東北地方最古の瓦で、単弧文平瓦を伴っている。
 東北地方最古の意味には、当然多賀城以前ということで、「ふくしまの歴史」では、権威者の名をあげて、この寺が飛鳥時代まで遡ると紹介する。
 「ふくしまの歴史」では、腰浜廃寺跡が、北五老内遺跡とかかわって信夫郡衙と推定するという辺りまでふれるが、この遺跡、もっと想像を広げさせるらしい。 
by shingen1948 | 2012-02-24 05:24 | ◎ 奥州侵略の路 | Comments(0)