2012の立春の頃の風景⑨~御山千軒遺跡付近⑧
2012年 02月 16日
積極的な理由としては、桃は古代祭祀で供え物として用いられたということと、刀や馬の形に切り抜いた祭祀に使う道具(形代)と思われると思われる木製品も出土しているということだろうか。
逆に、躊躇する理由として考えられるのは、例えば、熟していない状況とか果肉持ついているなど、食用ではないという状況が確認できないということだろうか。入れ物となりそうなものとの関係性など出土時の状況もあるかもしれない。
それを、想像は自由という事でより主観的に整理すれば、この集落は、祓所とかかわることを特色とする集落だと思えてくる。立地的には、信夫山麓で、北西側に湿地帯が広がる水辺の集落。
これ等の想像を頭において、展示された墨書土器をみる。
「ふくしまの歴史」によれば、この遺跡では「千万」「福来」「上家」「西福」「東福」「丈」などの62点の墨書土器が出土し、そのうち、「千万」の墨書は10点あるとか。
「信夫山麓の水辺の祓所を特色とする集落」ということから、更に勝手な想像を膨らませる。
信夫の里には、信達湖水伝説があり、信夫山は湖中の島とされている。
信達の湖水伝説に現実味はないのだが、祈祷の存在を意識すれば、そのことはどうでもいいことだったのではないかと思えてくる。
事実としてここが湖であるということより、湖にかかわる守護神を生み出すために、周りの状況を活用して、それに似つかわしい信達湖水伝説が創造できたと見るべきなのではないかと。この土地を〝呪〟として縛る神話の構築に注目すべきなのではないかとの勝手な見方だ。
そういう目で辺りを見渡せば、御山黒沼神社がある。
これは、昨年の「暁参り」に撮った写真で、まだ信夫山を散策する気分にはなれない。
案内板によれば、この神社の創建年代は不詳で、式内社の一つであるとされる古社とのこと。その主祭神は黒沼大神だが、闇御津羽神とする資料もあるという。
この黒沼大神というのは、昔、当地が湖水であった頃の水神で、湖の主であったという言い伝えとのことだ。
大胆すぎるかもしれないが、ここに気を感じて伏し拝むという観点からの御山千軒遺跡のイメージを重ねてみる。
この御山黒沼神社を拝むその奥には信夫山があるのだが、その御山の西側の湿地帯の中には、古くからの水辺の祓所を特色とする集落があって、これもまた「気を感じる」所となっているという想像だ。
この信達湖水伝説と御山黒沼神社の祭神、それに、祓所とかかわることを特色とする水辺の集落である御山千軒遺跡を合わせてイメージすると、結構実感が伴ってくる。