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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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2012の立春の頃の風景⑤~御山千軒遺跡付近④

 福島盆地に入った奥大道について、「ふくしまの歴史」では、新幹線北口から下って、郷野目に進み、須川と阿武隈川の間を東に通って腰浜に上り、福島競馬場などの地を通って、五十辺・本内・鎌田・瀬上を経由して伊達郡に入り桑折・厚樫山方面に向かったものと思われとしている。
 信夫山東側のコース取りで、論拠は上げないが、郡役所が、五郎内・桑折・国見の可能性を考慮したコース取りが匂う。
a0087378_581887.jpg
 信夫山を西に回り込む「御山千軒遺跡」付近は、湿地帯であり、この遺跡が水辺のむらというのが、今回新たに得た情報だ。現況と見比べれば、ちょこんと水田が残る辺りから北側が湿地帯だったのだろうと想像できる。
 それなら、展示品としてのアピール度は墨書土器が上だろうが、この遺跡を特徴つけるものとして貴重なのは、木製品なのかもしれないと勝手な思い。

 気になるのが、松川の洪水情報だが、こちらは荒川に比べると少ない。半沢氏のフィールとワーク地図にこの辺りの洪水の様子が図示されているのを見る。
 この図では、寛永13年以前の松川流域は信夫山南流としている。ただ、県の歴史資料館の広報誌では、少なくとも江戸期の信夫山南流説の根拠が薄いという指摘も見る。
 近年の洪水跡は、明治43年、大正3年の洪水跡がJR東北線のくびれたようなカーブを目ざして描かれる。線路のこのカーブが、地形の高低差にかかわるカーブなのだろうと思う。同じように、昭和13年の洪水が、松川のやや上流から同じところを目ざすように描かれる。これ等の河川決壊地点が、清水公民館の東側の土手筋ではないかと勝手な想像をする。
 なお、明治23年、昭和6年には、松川の北側の決壊筋を描いている。

 しかし、高低差を意識して散歩でも、「御山千軒遺跡」付近まで湿地帯となるイメージはつかめない。現況からは、これらの洪水跡はJR東北線まででとまるだろうというのが実感だ。
 痕跡として「御山千軒遺跡」付近まで湿地帯だったということで、これが事実であり、今回の震災のように、事実は自分の持つ実感を越えるということらしい。
 自分の感覚の甘さを自覚する。
by shingen1948 | 2012-02-12 05:19 | ◎ 水 | Comments(0)