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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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2012の立春の頃の風景④~御山千軒遺跡付近②

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 「御山」という地名に「千軒」という名称の付く遺跡だが、この「千軒」というのは、言い伝えに「大きな集落があった」ということとのかかわりらしい。散歩人としての興味は、調査で言い伝え通りに奈良或いは平安時代の大きな集落が確認できたということだろうか。


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 頂いた資料と現地とを照らし合わせて、想像を膨らませる。
 南側半分の特徴は、住居跡群の塊があり、そこから少し北側に進んだあたりにも、多数の住居跡群や不明な遺構群があるのだが、その跡の中に建物跡とされる住居群があるという状況だろうか。
 多分、この住居跡とされるのが、竪穴住居のことで、建物跡とされるのが、掘立柱建物だろうと想像する。


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 北側半分の特徴は、そこにいくつかの溝跡が走る状況だろうか。
 これが、「まほろん」の紹介文でいう「旧河川跡の確認」ということだと想像する。
 この旧河川跡から、吉祥文字が書かれた墨書土器や、桃の種、トチ、クルミ等の植物遺存体のほか、多量の木製品が見つかったということだろうか。

 木製品は、容器・農具・狩猟具・漁撈具・紡織具・形代(祭祀に使う道具)等の様々な種類のもので、貴重な資料とのこと。福島市のホームページでいう「水辺のむら」であったことで、「多量の木製品」が保存されていたということなのではないかと想像する。

 そこから一段下がった地点が、水田が残り、段々低地になっていくと感じた辺りなのではないかと想像する。そこに井戸跡があったということのようだ。
 ここが湿地帯であり、水辺のむらだったというイメージも、感覚的にはまだだが、頭では理解はできそうに思えてくる。
by shingen1948 | 2012-02-10 05:20 | ◎ 奥州侵略の路 | Comments(0)