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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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2012の立春の頃の風景③~御山千軒遺跡付近

 県立図書館で、「まほろん収蔵資料展」として、福島市内にかかわる遺跡から出土した「原始・古代の土器石器」が展示されている。八景腰巻遺跡、摺上川ダム遺跡群・大窪遺跡・孫六橋遺跡・御山千軒遺跡から出土した収蔵資料とのことだ。

 先に、展示された御山千軒遺跡の位置図を参考に、この辺りだろうと確認したところだった。
2012の立春の頃の風景③~御山千軒遺跡付近_a0087378_457191.jpg
 その講座の中で、この遺跡は低地であることを強調されたのが気になった。
 ここを散歩している中では、何となく高低差は感じているものの、低地であるという実感を持っていなかった。

 確かに、遺跡と推定した地点から国道13号線の方をみると、高低差があるなとは思った。それでも、この感覚にむしろ違和感を覚えた記憶がよみがえる。それは、ここは住宅地という感覚で見ていたからだと思う。ここには国道13号線沿いか、御山に沿う道筋できているせいもあるかもしれない。
2012の立春の頃の風景③~御山千軒遺跡付近_a0087378_5419100.jpg
 高低差を意識すると、確かに松川から電気店付近まではやや高まっていて、その電気店の駐車場から南側は随分下がる。
 国道13号線は、盛土による高まりなのだろう。
 あらためて国道13号線から遺跡と推定される地点を眺めてみると、遺跡と推定される方向は随分下がっているのが分かる。

 紹介文を確認すると、「福島市のホームページ」では、この遺跡を「水辺のむら」「湿地のそばから」の集落としている。
 御山千軒遺跡は、信夫山の北側の遺跡で、東北新幹線の建設工事に先立って発掘調査が行われたました。
 湿地のそばからたくさんの竪穴住居や竪穴住居や掘立柱建物、井戸跡などがみつかり、奈良時代~平安時代にかけて、水辺にむらが作られていたことが明らかになりました。

 「まほろん」の紹介文では、発掘の成果に、「旧河川跡」の確認が加わっていて、その「旧河川跡」からたくさんの出土品があったことを強調している。
 竪穴住居跡、掘立柱建物跡や旧河川跡などが確認されています。
 河川跡からは、吉祥文字が書かれた墨書土器や、桃の種、トチ、クルミ等の植物遺存体のほか、多量の木製品が見つかりました。木製品は、容器・農具・狩猟具・漁撈具・紡織具・形代(祭祀に使う道具)等の様々な種類のものがあり、大変貴重な資料といえます。

 
by shingen1948 | 2012-02-09 05:17 | ◎ 奥州侵略の路 | Comments(0)